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スーパーボランティア尾畠春夫さん なぜ?現場へ?

2018/09/05  |  番組内容

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今月3日、日出町で功労者表彰が行われました。町民に勇気と誇りを与えたとして表彰されたのは78歳の尾畠春夫さんです。尾畠さんといえば、先月15日、山口県周防大島町で行方不明だった2歳の男の子をわずか20分で発見して、一躍時の人となりました。
65歳で仕事を辞めて、残りの人生をボランティアに捧げると決意しました。「スーパーボランティア」と称され西日本豪雨の被災地などで豊富な知識や経験を活かしています。
尾畠春夫さんのスーパーボランティアの生き方と信念に迫りました。
スーパーボランティア尾畠春夫さんの自宅は日出町川崎の住宅地にあります。自宅の庭には小さな家庭菜園があり、収穫した野菜を毎日の食材にしています。この日はゴーヤとツルムラサキを調理していました。尾畠さんは一人暮らしで、年金生活を送っています。妻は5年から自由な旅に出かけたままです。子ども2人は既に独立しています。
山口県で男の子を救出した3日後、尾畠さんは愛車で次の活動場所を目指しました。向かった広島県呉市天応地区は、今年7月の西日本豪雨で土石流が襲い大規模な被害に見舞われました。尾畠さんは豪雨の後、すぐさまこの地区で、浸水した家屋などの復旧作業を始めました。

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この日は床上浸水した住宅の床板を剥がし軒下に溜まったヘドロをバケツで汲みあげます。猛暑のうえ、異臭が漂う現場では仲間への声かけや気配りが重要です。7人兄弟の3男として生まれた尾畠さんは、杵築市で育ちました。家庭は貧しく、小学5年生から農家へ奉公に出されます。
中学校を卒業後、別府市内の魚屋に勤め始めます。「いずれ自分で魚屋を開きたい」という志を持ち、下関や神戸でも修行をして、開店に必要な知識や経験を積みます。東京ではとび職などで資金集めをして、28歳で念願の魚屋を別府市に開きます。尾畠さんが開いた「魚春」は刺身が美味いと近所で評判の店でした。店があった場所にはガレージだけが今も当時のまま残っています。ガレージの隣に住む林さんは「時折、尾畠さんがガレージで不思議な作業をしていた」と振り返ります。
尾畠さんはガレージで市場でもらってきたロープを編んで網をつくったり、仕入れ用の木箱をばらして赤いペンキを塗ったりしていました。登山を趣味にしていた尾畠さんは50歳から由布岳の登山道を整備するボランティア活動を始めていました。斜面の崩れた場所にはロープでつくった網をはって登山者の安全を確保します。また、赤いペンキを塗った木の板は山で組み立てて、休憩用のベンチやテーブルをつくります。活動は年間を通して行ない、現在も続けています。この由布岳の登山道整備こそが尾畠さんのボランティア活動へ突き進む人生のターニングポイントとなりました。

尾畠さんのもとには毎日、偉業を称え、パワーにあやかろうと大勢の人が集まります。訪れる人たちに対して尾畠さんは、どんな時も嫌な顔ひとつせず温かく迎えます。
別府市に開いた魚屋の看板を下ろし、ボランティア活動に専念し始めたのは65歳の時。これまでに全国各地の被災地で活動をして、人々を勇気づけてきました。

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朝5時。尾畠さんは起床すると、すぐさま作業着に着替えます。行方不明の女性を見つけようと、毎朝2時間ほど単独で手がかりを探します。尾畠さんのこれまでの経験によれば「川の橋脚に堆積した土砂のなかには衣類の一部など手がかりになる物が発見される場合が多い」ということです。しかし、橋脚周辺には一人では動かすことができない大きな岩々に阻まれ作業は難行。結局、この日は何も見つけることができませんでした。

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呉市では現在も各地から集まったボランティアによる懸命な作業が続いています。しかし、ボランティアの数は不足し、尾畠さんによると復旧状況は未だ全体の3割程で、より多くの人が被災地に足を運びボランティアに参加して欲しいと呼びかけています。尾畠春夫さん78歳。社会への恩返しの為、一人でも多くの人を笑顔にしようと体力の続く限りボランティア活動に邁進します。

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