OBSニュースライン コラム ニュースラインの現場

兼子 憲司(Kenji Kaneko)
県警、県政を担当後、ニュースデスクを4年経験。 デスクの間、国政選挙と統一地方選挙の解説も担当する。
2007年4月から報道部長。



大分県内きょうの天気


■2009年03月23日(月)  161、コラム「ニュースラインの現場」最終稿
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去年の3月31日にスタートしたこのコラム「ニュースラインの現場」。視聴者と私たち取材者をつなぐ役割を果たしてくれればと思い立ち上げたもので、今回で161回を迎えました。当初は1週間に2回程度掲載できればと考えていましたが、結果としては目標を随分上回る回数を重ねることができました。原稿は私が1人で執筆してきましたので、忙しい時期は回数が少なくなっていましたが、なんとか1年間継続することができました。これもニュースをご覧頂いた視聴者の方や、このコラムを読んでいただいた方からの支援があったからです。

【写真】筆者「多くの意見をお寄せ頂きありがとうございました」

とくに県教委汚職の際には、教育現場の方から連日多くのメールが寄せられ、貴重な意見を紹介することができました。ニュースの中で紹介できなかったものをこのコラムに掲載することで、ニュース以上に、多角的なものの見方を示すことができたのではないかと自負しています。多くの方が非常にまじめに県教委汚職について考えていることがよく分かりました。学校現場の先生。犯罪に手を染めてしまった県教委幹部の教え子だった方。子どもをもつ保護者。何度も受験しながら採用されなかった臨時講師の方。寄せられたメールの一つひとつには怒りや落胆、この先の不安とあきらめといった感情が様々な表現で語られていました。そういった感情が手に取るように分かりました。そうした方々の意見をこのコラムに掲載することで、一般の多くの人たちが感じている声なき声を示すことができたのではないかと感じています。このコラムを立ち上げて本当によかったと思います。

しかしながら、このコラムは今回の161回が最終回となります。それには2つの理由があります。1つはこのコラムのタイトルでもあった「ニュースライン」という番組が3月27日で終了すること。そして私自身が4月1日付けで報道部から離れることになったためです。今後、別のタイトルでニュースに関するコラムが出来るかどうかは、まだ結論が出ていません。しかし、近いうちに、同様のコラムが立ち上がることを期待します。それはこのコラムが一般の方からの貴重な意見の受け皿になっていたからです。そしてもし、私が将来再び報道に携わることがあれば、もう一度コラムを書き視聴者の方との交流を深めて行きたいと思います。
ニュースラインの視聴者、コラムの読者、そしてニュースに携わってきた記者やカメラマン。そうした人たちに恵まれてここまでこれたのだと感じています。1年間本当にありがとうございました。

この4月、多くの人が新しい生活をスタートさせることでしょう。私も心機一転、新たな職場で頑張っていこうと思います。

2009年3月23日 OBS大分放送報道部長 兼子憲司


■2009年03月21日(土)  160、総力報道!OBS THE NEWS
_MG_0628s.JPG 200×134 24K【総力報道!OBS THE NEWS】
OBSニュースラインが今月27日までで終了することに伴い、3月30日(月)から夕方のローカルワイドニュースが「総力報道!OBS THE NEWS」に変わります。
最大の特徴は番組のスタート時間が現行の午後6時16分から11分早くなり、午後6時05分となるという点です。つまり大分エリアのワイドニュースでは最も早く番組がスタートすることになる予定なのです。その日に県内で起きた事件事故の情報を正確にいち早く県民の皆さんにお届けできる番組にしていきたいと考えています。

【写真】“総力報道!OBS THE NEWS”のキャスター陣

キャスター陣は検討を重ねた結果、ニュースラインの陣容を引き継ぐことになりました。これまで以上に分かりやすいニュースを目指したいと思いますのでよろしくお願いします。
メインキャスターは3人で、月〜水を宮地キャスターと井口キャスター、木・金を三重野キャスターと井口キャスターがそれぞれ担当します。そして天気を中心としたサブキャスターに月〜水を後藤なぎさアナウンサー、木・金を小野裕子アナウンサーに担当してもらうことになりました。それでは各キャスターの抱負を紹介します。

 宮地寛哉
「ニュースは現場から」の精神はそのままに、これからも、わかりやすいニュースを心がけていきます。特に今年は9月までに必ず総選挙が行われます。「THE NEWS」では、ただ単に選挙情勢を追いかけるだけでなく、有権者の選択が日々の暮らしにどのような意味をもたらすのかといったことについても報道をしていきたいと思います。

 三重野勝己
夕方のニュース番組を担当して、この4月から6年目になりますが、番組自体が「総力報道!OBS THE NEWS」として新たにスタートするように、自分自身も心機一転!キャスターとして1からスタートしたいと思います。この1年間、様々な現場に出て学んだ事を視聴者のみなさんに伝えられるように、頑張ります!!

 井口尚子
キャスターとして日々取材を続けていますが、何年経っても新しい発見が続く毎日です。「総力報道!OBS THE NEWS」の初代キャスターとして、「喜」「怒」「哀」「楽」が心に響くようなニュースを届けたいと思っています。これからもたくさんの場所に行き、たくさんの人に出会い、暮らしや生活に密着したニュースや話題を探していきます。

 後藤なぎさ
天気情報は、日々の生活に欠かせない情報だということを改めて肝に銘じ、わかりやすく正確にお伝えしていきたいです。ホッと和める季節の映像と、『へ〜!』と言ってもらえる天気の豆知識を、毎回お届けできるように頑張ります。視聴者のみなさんも、お天気に関する疑問や、身近で見つけた季節の話題などの情報をどしどしお寄せ下さい!

 小野裕子
私たちの生活に密接に関わるお天気。美しい空に心が和むこともあれば、台風や集中豪雨などの気象災害により命を落とすこともあります。日々のお天気を分かりやすく解説することはもちろん、防災に役立つ情報をしっかりと正確にお伝えしたいと思います。また、四季の移ろいを感じることが出来るような大分の季節の話題などもお届けします。

「総力報道!OBS THE NEWS」は3月30日午後6時05分スタートです。是非、ご覧ください。


■2009年03月16日(月)  159、OBSニュースライン20年の歴史に幕
grp0316192428.JPG 205×154 13K【OBSニュースライン27日で終了】
夕方のワイドニュース「OBSニュースライン」が今月27日(金)をもって最後の放送となります。ニュースラインは平成元年の10月2日にスタートし、20年にわたって県内の様々な出来事をお伝えしてきました。この間大分県では、ワールドカップ大分開催や2巡目大分国体など華やかなビッグイベントが開催されたほか、大分市松岡の郵便局長強盗殺害事件や野津町の一家6人殺傷事件、最近では県教委汚職など、大分県に暗い影を落とす事件も数多く発生しています。

【写真】OBSニュースラインの現行のオープニングロゴ

私も多くの事件やイベントの現場に立会いました。98年のワールドカップフランス大会では、大分開催を4年後に控えていたことから、日本対クロアチア戦が開催されたフランス西部の地方都市“ナント”の状況を取材しました。また、2002年のワールドカップ開幕直前にはカメルーンのキャンプ地となった中津江村・鯛生スポーツセンターの長谷所長(当時)とともにカメルーンを訪問し、現地の食事や生活習慣、それに子どもたちのサッカーに対する想いなどをお伝えしました。さらに、カメルーンチームの到着が遅れたことによる中津江村の大混乱を全国に発信したことも、今では良い思い出です。この遅刻のおかげで、当時の中津江村の坂本休村長とは今でも交流が続いています。

一方、事件を見ると、松岡の郵便局長殺害事件は発生から11年が経った今年も未解決で、捜査は難航しています。当時、私は県警キャップをしていて、連日睡眠時間を削って取材活動をしていたことを思い出します。取材は連日続いたのですが、マスコミ各社ともに次第に出せる情報が乏しくなり、事件が難航していることを肌身で感じました。この事件については以前にも書きましたが、個人的にも一日も早く解決してもらいたいと思う事件です。
そして、野津町で起きた一家6人殺傷事件の惨劇。どうしてこんな事態になったのか。犯人の少年はすぐに逮捕されましたが、何故そこまで少年が追い詰められたのか、未だに真相ははっきりとしていないといえます。その闇は解明できていないのです。
そして県教委汚職は全国の注目を集め、中津江村の騒動以来となる数多くのマスコミが来県しました。しかしながら、口利きの実態はこれまで解明されず、県民の県教育界への不審はぬぐえないままとなっています。

このほか、ニュースラインではトリニータ(発足当初はトリニティー)の誕生から、昇格まであと数分に迫ったロスタイムの悲劇、J1昇格、さらには、ナビスコカップ優勝という歴史を伝えてきました。サッカー文化がそれほど大分にあったとはいえなかった当時からすると、今の活躍は隔世の感があります。

このように「OBSニュースライン」という番組が伝えた情報には喜びや怒り、哀しみに楽しさなど色んな情報があったと思います。ニュースに対する不満や意見も数多く寄せられました。その一方で感謝されることも多かったと感じます。
私たちは、ニュースを通じて、県民の知る権利に応えようと地道に記者活動を続けているつもりですが、まだまだ十分とはいえません。ニュースラインで出来なかったことをよく噛み締め、3月30日(月)の午後6時05分にスタートする新番組「総力報道!OBS THE NEWS」で生かしていきたいと思います。
次のコラムではその新番組「総力報道!THE NEWS」についてお伝えします。


■2009年03月12日(木)  158、JNNネットワーク協議会賞グランプリ獲得
grp0312180944.JPG 256×192 12K【JNNネットワーク協議会賞グランプリ】
豊後高田市の元養護教諭・山田泉さんの活動を描いた作品「子どもたちへ〜がんと闘う山ちゃんの想い〜」がJNNネットワーク協議会賞のグランプリを獲得しました。12日は東京で表彰式が行われ、番組を制作した井口尚子記者が出席しました。受賞にあたり井口記者は「番組のタイトルのように、子どもたちに伝わるといいなと思って作った番組です」と言った後、亡くなった“山ちゃん”のことが頭をよぎり言葉を詰まらせました。そして「亡くなる前の山田さんの活動を映像に記録でき、番組に出来たということに感謝しています」と受賞の喜びを語りました。

【写真】JNNネットワーク協議会賞授賞式での井口尚子記者(東京・ホテルオークラ)

JNNネットワーク協議会賞のグランプリは、報道・ドキュメンタリー部門、エンタテインメント部門、環境・エコロジー部門、活動部門で、それぞれ1位となった協議会賞の作品の中から選ばれるものです。OBSが制作した「子どもたちへ」は報道・ドキュメンタリー部門で1位となり、全体のグランプリを受賞しました。

このコラムでも「子どもたちへ〜がんと闘う山ちゃんの想い〜」については、何度も取り上げてきました。今回の受賞を一番喜んでくれるはずの“山ちゃん”がすでに他界されてていることが残念でなりません。
この番組は日本民間放送連盟の優秀賞も獲得していて、その際に生前の山ちゃんから私にメールが届けられました。そのメールを紹介します。

 OBSさんとは長いつきあいだったので、受賞はすごくうれしいです。井口さんやたくちゃん(カメラマン)や音声のボクの現場での熱意が、ひなのちゃんに伝わったからいい番組になったんだと思います。私は、あの頃から、吐き気やだるさや、むくみで精神的に余裕もなく、いっぱいいっぱいでしたので、すみません。でも、だからこそ、ああ、良かった!!少し責任を果たせような気持ちです。

ところで、私は肝臓や肺にも転移し、胸水がたまり、いよいよかなあという日々です。やはりつらいです。精神的にもつらいですわ。今は、体力を落とさないようにモルヒネの副作用もあり、昼も夜も朝も眠っていることが増えてきました。
でも生きているだけで幸せです。身の丈に応じた幸せを喜ぶように努力しています。
もう一冊本を書こうかと思い、毎日原稿のことを考えています。
そうそう、来週はまたエリックマリアが家に遊びにくるそうです。びっくりです。

やまちゃんより 

このメールからも分かるように、OBSが取材していたときは抗がん剤の治療などでかなりつらい時期だったようです。にも関わらず、いやな顔一つせず取材に応じてくれました。これも、山田さんの人柄なのだと思います。
ニュース23で15分の特集を放送したときにも、ものすごく喜んでくれました。おそらく、それ以上に、今回のネットワーク協議会賞の受賞を喜んでくれていると思います。あの高らかな笑い声が天国から聞こえてきそうです。山田さん、本当にありがとうございました。


■2009年03月06日(金)  157、大崎耀子さんも卒業
grp0306135211.JPG 228×171 13K【アッコの卒業式】
楊志館高校野球部のマネージャーだった大崎耀子(あきこ)さんは去年10月、上咽頭がんのため17歳という若さで亡くなりました。その耀子さんにも高校から卒業証書が送られることになり、5日のニュースラインでは3日に行われた卒業式の模様をお伝えしました。
耀子さんはがんと闘っていましたが、去年、医師から「治る見込みはない」と宣告されました。そして、残された時間を野球部のマネージャーとして甲子園出場を目指すことにしたのです。しかし楊志館は夏の県予選でまさかの初戦敗退。試合終了を告げるサイレンが球場を覆ったとき、ベンチにいた耀子さんは一瞬、「目の前で起きたことを受け入れることができない」といった表情をしました。そしてベンチを出て整列したとき、せきを切ったように大粒の涙がこぼれました。残された命を削って甲子園出場をかけてきただけに、耀子さんの悲しみや落胆は計り知れません。
しかし、それから数日後、場内アナウンスをするため球場を訪れた耀子さんはインタビューに次のように答えてくれました。

「甲子園にはいけなかったけど、最高の夏でした」

【写真】大崎耀子さんの遺影(楊志館高校の卒業式にて)

私も何度か大崎さんの取材をしています。直接本人から話を聞いた以外にも、学校や野球部の関係者、そして、ご両親にまで取材をしました。その中でも耀子さんが亡くなったあと、ご両親から耀子さんが病気に至った経緯や、甲子園を目指したときの彼女の容態などについて細かく聞かせてもらった日のことを良く覚えています。
取材したい内容を伝えると耀子さんのお父さんが日記をだしてきました。その日記には丁寧な文字で耀子さんについてのことが記されていました。
耀子さんの首にしこりが出来てなんだろうと思ったこと、微熱が続いていたこと、当初は別の病気と診断されていたこと、がんと診断されたあと耀子さんには病名を告知していなかったこと、そして本格的な治療を受けることになった病院が「九州がんセンター」となったため耀子さんに告知せざるを得なかったことなどを説明してくれました。
この日は耀子さんが亡くなってからまだそれほど時間が経っていなかったこともあって、取材の途中、お母さんは何度も目頭を抑えていました。それでも、お父さんは日記の文字を丹念に追いながら冷静に当時の様子を教えてくれました。
その時の私の取材ノートには次のようなメモが残されています。

「6月22日、学校のみんなの前で自分はがんだと告げた」
「生きる確立は低い」
「白血球が下がったので治療できなくなった」
「医師から完治は難しいといわれた」
「本人が主治医に対して、治療を断った」

治療を断って以降の耀子さんの様子について、私の取材ノートには次のようなことが書かれていました。

「学校にはいかなくても、グラウンドには行っていた」
「グラウンドに行って、みんなと一緒にいたい」

耀子さんの甲子園出場に対する想い。そして仲間との一体感。取材メモからも、耀子さんの気持ちが伝わってきます。
3日に行われた楊志館高校の卒業式。野球部の監督でもあり、担任でもあった宮地監督は教室で「よく病気と闘って、頑張ってくれました。我々、一生、絶対忘れませんので、大事にしてください」と言葉を搾り出すように言い、卒業証書を耀子さんのお母さんに手渡しました。
これに対してお母さんは「一緒に卒業できなかったですけど、あの子は今もそばにいると思います」と泣きながらお礼を述べていました。

耀子さんが語ってくれた言葉…「最高の夏でした
そして亡くなる直前に病室で仲間に書いて贈ったメッセージ…「ありがとう
こうした言葉を残した耀子さんはおそらく「仲間がいたからこそ精一杯生きることができた」と笑顔で伝えたかったのだろうと思います。

卒業おめでとうございます。


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