大分県医師会 ( おおいたけんいしかい)
県民医療の向上に貢献
近代以前(江戸時代)の日本には、まだ全国的に統一された医療制度は存在しなかった。したがって医師についても、現在のような資格や権限などあろうはずもなく、さまざまな知識 技能 経歴の持主、例えば僧侶 祈祷(きとう)師 占師までが、それぞれ独特の医療を勝手に営んでいた。このような医師(一般的な慣用に従えば、むしろ「医者」あるいは「医家」と呼ぶべきであろう)の中核を占めていたのは、いわゆる「漢方医」と呼ばれる人たちであった(当時、全国の医師数約2万8,000のうち2万3,000人)。彼らは、その基盤となる人間の身体 生命 健康観に基づき、それぞれ独自の療法で広く医業にたずさわっていた(『内務省史』第3巻)。
明治元年(1868)12月、維新政府は、長崎を経由して伝えられた 蘭学 の中核ともいうべき医学、いわゆる「 西洋医学 」を国家の基本政策として採択した。その結果、日本の医療制度はその後、全面的に近代化への途を進む。こうした西洋医術の国家的承認と保護により、その地位は、旧来の漢方医術を 凌駕(りょうが)して急速に高まる。続いて政府は、医制の確立(同7年)後、西洋医学を修める「 医学校 」を設立して「医学士」の養成にのり出す一方、臨機の措置として先進諸国から「お雇い外国人医師」を高給で招へいした。彼らは臨床医として、旧来の漢方医たちに見られぬ高度の知識と技術を発揮して驚嘆を呼ぶとともに、近代医学の体系的伝授や衛生思想の普及(特に伝染病の予防対策)にも格段の貢献をした。日本で最初に医師の法制として登場したのが、明治も終わりに近い同39年制定の「(旧)医師法」。この法は、第二次世界大戦中の昭和17年(1942)国民医療法が制定されるまで三十数年間、医師に関する基本法であった。また、この制度で、国家公認の医学校で西洋医学を習得した者だけが医師資格(免状)を習得することが認められることになり、同時に医制以来、口中科として一専門科とされていた「歯科」が分科独立し、一般医師とは別に歯科医師として独自の活動領域を形成していった。
全国幾つかの府県で、任意の 親睦(しんぼく)団体 同業者組合としての性格を持つ「医会」、若しくは「医師会」が生まれたのは比較的早く、明治14、5年ごろ。当時、医師集団は県単位にまで組織されておらず、前述(旧)医師法の公布でその設立が促進されることになった「公的」医師会は、個人参加の医師会と郡市単位の道府県医師会との二重構造で、まだこの段階では任意団体とされていた。全国的組織の日本医師会の設立は大正5年(1916)。続いて同8年、(旧)医師法の一部改正により、強制設立 強制加入の「法定」医師会が国家的承認と保護の下に設立されることになった。こうして医師集団としての医師会は、国家の枠組みに取り込まれた反面、所轄庁の監督権が強化され、医師会の議決のいかんは常に地方長官の強い権限の下に置かれることになったのである(厚生省刊『医制百年史』)。
〈大分県医師会の設立〉
県下に、正式に「大分県医師会」が設立を見たのは大正9年(1920)、初代会長は 中山政男 (大正9〜15年)、会員数668名。強制設立された大分県医師会では、当時“国民病”―別名“亡国病”―と呼ばれていた結核の予防対策(講演会や展覧会の開催など)や花柳病、衛生思想の普及などに取り組んだ。参考までに、昭和5年次の所属医師数は865人(うち女医13人)、歯科医235人(同5人)、県立の医療施設2( 県立病院 県立治療院)、私立病院16(診療所は除く)、入院患者数1万8,677人、外来患者数2万796人(昭和6年刊『大分県統計書』)。
昭和17年に国民医療法が公布され、医師会もまた戦時体制に編成された。翌18年、 大分県医療防衛報国隊 が結成され、滅私奉公を強いられる。県医師会館の焼失は、敗戦の直前7月16日夜半の 大分大空襲 のとき。戦後、全国の医師会はGHQの指令により民間団体の性格のものに改められた。 大分県医師会館 の再建は同47年1月、大分市荷揚町6番23号所在。現在(平成2年)、県医師会の下に17の郡市医師会が組織され、地域医療 救急 健康教室などのほか学校保健 健康保険の諸活動を展開し、また臨床科別の分科会も持たれて学術団体的色彩をも濃くしている。会員数は1,553人(平成元年12月1日現在、県下の医師数2,013人)。会長は畑一郎。
なお、「 アルメイダ病院 」(大分市宮崎)は、社団法人組織で 大分市医師会 が経営する病院。医師会員の生涯研修と地域実践の場として地域社会に高度の医療を提供する目的で、昭和44年病床数160で開院、同54年に310床へ。同所にある「 大分県地域成人病検診センター 」(財団法人 同53年開設)も、実質的な運営は大分市医師会が担当し、開業医との連携のもとに地域住民の健康管理 健康教室 健康増進を果たし、県民医療(特に予防医療)の上で大きく貢献している。
参考文献 高浦照明『大分の医療史』
[大野 保治]
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