県財政 ( けんざいせい)
苦しいやりくりと国家財政への従属
明治維新後も、国家財政 地方財政制度は容易に確立しなかった。近代財政の確立に最も大きな画期となったのは、 地租改正 であった。地租改正作業進行過程の明治8年(1875)、 国税 と 地方税 の区分も明分化し、作業終了後の11年地方税規則が公布されてはじめて、府県財政と町村財政の区分も明確となった。地方税の大半が国税の付加税、 町村税 の大半もまた地方税( 府県税 )の付加税という形で、それぞれ税源が固定されるが、その後地方への国政委任事務と行政需要が増大し続けたため、地方財政は終始苦しいやりくりを強いられることとなる。しかも日清戦後経営期には、営業税と雑種税中の主なものは国税とされ、日露戦争時以降は非常特別税法で地方税に制限が加えられた。各地域の経済の不均等発展が顕著となる大正期以降は、税源のふりかえや国税還付による地方財政の支援が重大な政治課題となった。大正7年(1918)義務教育費国庫負担法が、同15年地方税法に関する法律が、そして昭和15年(1940)には地方分与税の創設を含む新地方税法が公布された。さらに第二次世界大戦後はシャープ税制改革で地方税独立税主義がとられるに至ったが、「3割自治」の言葉もあるとおり、県を含め多くの地方公共団体で、国家財政への依存度はきわめて高い。
〈明治11年の地方税規則〉
廃藩置県後の県財政は、県が徴収した租税の中から県が必要とする経費を大蔵省の許可を得て残留した受取米金( 置米金 )と、民衆の負担する 民費 から成っていた。全体としては民費が圧倒的な割合をしめていたが、徐々に府県税が整えられ、民費についても規則が整備された。地租改正の過程で国税と地方税の区分を明確にしつつ、11年7月の地方税規則の公布となったのである。地方税規則は全文わずか7条から成るが、税目として 地租割 、 営業税 および 雑種税 、 戸数割 を定め、支出費目についても12項目を規程し、その後の府県財政の基礎となった。会計年度や市町村財政との区分も本規則で明確にされた。
〈地租割と戸数割〉
県財政の全体構造は、内務省所管国庫支出県費や町村分賦金を主財源とする郡財政を抜きにしては考えられないが、中心はもちろん地方税支弁県費である。そして地方税収入の基幹は地租割租税と戸数割租税であった。地租割租税は国税である地租の5分の1以内で決定された。戸数割租税は現住して一家をなすものすべてに課税し、「町村ノ状況ニ依リ、町村会ニ於テ適宜差等ヲ設ケ各戸ノ課額ヲ定」めたものがベースとされたものである。大分県の場合、明治12年度地方税総額28万円余のうち、46.5%は地租割、13.4%が戸数割であった。地租割は17年度以降30年代前半までにはおおむね50%を超えるが、以後漸減して行く。一方戸数割は徐々に比率を上げ、30年代後半には20%を超える。大正10年府県税戸数割規則が成立して、はじめて全国共通の基準が整えられた。各戸の資力算定の基礎として、住家坪数のほか所得額 資産状況が重視されるようになったのである。このころから地方税収入にしめる比率も30%を超え、地租割租税に代わって地方税の中心となったが、大正15年には 市町村税 に移管され、府県税には代わって 家屋税 が新設される。また、雑種税 営業税割収入も明治後期から上昇し始め、大正期には合わせて全体の20〜30%に達する勢いを示した。しかし、昭和初期の 恐慌 期には税収も減少し、軍需景気のもとでは県歳入総額にしめる税収の割合は急激に下落した。昭和6年43.3%、14年28.8%、18年23.9%である。終戦を前に歳入内容の面からも地方財政の名に値しない状況に陥っていたのである。
〈義務教育費国庫負担法と地方分与税〉
地方税支出では、明治前期は戸長以下給料旅費と警察費および郡吏員給料など人件費が中心であったが、後期からは教育費 勧業費の伸びが著しい。土木費は時期を問わず、巨大 災害 のあとを受けて突発的に巨額となるが、総じて市町村 郡 県どの段階においても最大の支出費目となって行くのが教育費であった。大正7年公布の義務教育費国庫負担法は市町村財政を補助するものであったが、同15年には義務教育費は道府県の負担に移されるとともに、その半額を国庫が負担することとなった。しかし大正末には、 郡制 の廃止にともない郡立学校のほとんどが県立に移管されており、県の教育費負担は増大した。支出費目も多様化するが、大分県の教育費は昭和2年度歳出総額の23.9%に達している。経済恐慌とそれに続く軍需景気は著しい経済活動の差、富の偏在を将来させ、地方財政の窮乏、地域的不均衡を決定的な所まで追い込んだ。何らかの形で地方財政調整を行うべきだとする動きは6年ころから現われ、臨時町村財政補給金規則(11年) 臨時地方財政補給金規則(12年)となり、15年の税制改革で、国税は 所得税 中心、地方税は物品税本位となり、 地方分与税 が創設されたのである。地方分与税は、平衡交付金 地方交付税として形をかえながら今日も存続している。
参考文献 大分県『大分県政史』県政篇
[末広 利人]
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