倹約令 ( けんやくれい)

「身分相応」に規定された質素な生活

 江戸時代に、質素 倹約を強制することを目的として発布された法令。従来 郷中 法度(はっと) において命じていた各自の分限に応じた質素な生活を、徹底させようとするもの。
〈藩主、帰国旅費なし〉
 18世紀にはいると、多くの藩では、年貢収入の伸びなやみ 支出の増大などによる財政難に頭を痛めるようになった。 岡藩 の場合、18世紀後半には、 参勤交代 により江戸在住であった藩主 中川 久貞(ひささだ) が竹田に帰国しようとしても旅費がないという状況になっていた。藩では、農民からの借金などで辛うじて帰国旅費を捻出している(『 検見之事 』)。岡藩では、このような財政危機を乗り切るために、 井上主水左衛門 の主導による 安永の改革 が実施された。この改革の方針の第一として、厳しい倹約が提示されていた。倹約が集中的に、かつ重点的に強制されたのは、幕府における享保 寛政 天保の改革をはじめ、幕府 諸藩が政治改革を意図した時期である。政治改革においては、積極的な経済政策とならんで、諸経費の節約 生活全般にわたる倹約の法令がほとんど発布されていたのである。 文化の大 一揆(いっき) の引金となった 横山甚助 の主導による岡藩文化の改革においても、文化4年(1807)に12か条からなる倹約令が発布されていた。また、 広瀬久兵衛 の主導による 府内藩 天保の改革 においても倹約が改革の一大支柱となっていた。
〈あいつぐ倹約令〉
  臼杵藩 において農民に対する衣食住を中心とした統制が次第に強化されていったのは、農村の変容に対応して18世紀前半以降のことである。享保8年(1723)、はじめて農村向けの倹約令が発布された。第1条では、村役人に役務専念の督励、農民に分限の 弁(わきま)えが指示されている。第2条は酒の飲み方についてである。ついで、元文4年(1739)に出された倹約令は5か条に増えている。第1条は冠婚葬祭などの軽微、第2条は家の規模制限、第3条は衣類の制限、第4条は音信贈答の軽微、第5条は検見役人への接待制限が規定されている。さらに、延享3年(1746)になると、17条からなる倹約令が発布され、細かい生活統制がすすめられた。この中には、無職の二 三男は妻帯し家族を構成してはならないという条項もある。宝暦年中(1751〜63)になると生活統制は一層こまごまとした内容になっている。衣服は、身分 格式によって差がつけられた。家の規模や構造 調度品についても規制が加えられ、縁組についても厳しく規制されている。そして簡略第一として、婚儀は親類だけで酒は2献まで、出産祝いで衣類を贈るのも祖父母を除いて無用などと生活のあらゆる面に統制が加えられているのである。さらに、安永元年(1772)以降毎年のように倹約令が発布されている。まさに倹約令につぐ倹約令という状況となっているのである。他藩においても同様に倹約令があいついで発布され、農民に倹約による質素な生活の励行を強制しているのである。
〈倹約令にみる農民生活〉
 天保13年(1842)発布の「 御制度書 」は、臼杵藩における倹約令の集大成というべきものであり、衣食住をはじめ生活のすみずみまで、細かい規制が身分や格式に応じて定められている。服装をみると、布木綿の服以外は禁止、 大庄屋 が薄い藍色、 小庄屋 山守などは藍色、惣百姓は藍染無地となっている。この他、羽織 裃(かみしも)類 帯 襟袖口などについて色 模様や生地がこまごまと定められていた。また、男は履物 煙草(たばこ)入など、女は腰帯 櫛などについて指定された色柄 材質以外は禁じられていた。雨が降った場合でも、大庄屋 小庄屋は白張りの傘を持てるが、惣百姓は傘をさすことはできなかった。家造りについては、「 掘立(ほったて)」が原則であり、規模や屋根 畳なども規定されていた。惣百姓の場合、 手斧(ちょうな)がけの簡単なつくりで、玄関無用、屋根は 茅(かや)か谷瓦、天井板不用、壁は荒壁に白紙を腰張りしたもの、畳は 七嶋(しっとう)畳を使用し上の間 次の間は縁付可、盗難防止のため雨戸はつけてもよいが戸袋はめだたないような粗末なものとなっていた。婚礼などの冠婚葬祭についても、出席者の範囲、膳の内容なども規定があり、それ以外は禁止されていた。
〈倹約令のめざしたもの〉
 倹約令において再三強調されたのは、「身分相応」ということである。近世社会はいうまでもなく身分制社会であった。倹約令は、身分制と不可分の関係にあり、分限をこえた生活をおさえることに重点が置かれていたのである。つまり、生活のすみずみにおよぶ細かな規制は、農村の荒廃 本百姓 体制のゆらぎをなくし安定した農業生産を維持していくという幕府 諸藩の財政難克服のためのひとつの方策ではあったが、同時に次第にゆるみつつある身分 格式を再度しめ直して、身分制社会を守り抜こうとする政策でもあったのである。
[佐藤 晃洋]

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