猪鹿狼寺 ( いからじ)
牧(巻)狩の古習を求めて
〈動物にかかわる地名〉
大分県の地図を開いて見ると、各地の山や谷の名称には、動物に因む名称の多いことが気付くだろう。 猪群(いのむれ)山 白鹿(はくろく)山 鹿鳴越(かなごえ) 猪(い)の 瀬戸(せと) など、拾いはじめると限りがない。大分市の南に位置する 九六位(くろくい)山 など、昔は九鹿猪山と呼んだ(「 臼杵 小鑑(こかがみ) 」)と云われるが、穏当な説であろう。これらのことは、古来、人びとが、いかに自然と深い関係を持ち続けていたかを物語る証である。直入郡久住町に所属する「猪鹿狼寺」や野津町「 シシ権現 」などは、動物と人との関係が、信仰として具現した顕著な例であろう。
〈猪鹿猪寺の創建〉
直入郡久住町所在。宗派は天台宗。現在地移遷以前は、 久住山 南山麓に所在していた。古くは、大和山■尊院と号した。伝承によると、文治2年(1187)、 源 頼朝(よりとも) が富士の山麓で牧(巻)狩を計画した折、久しく廃絶していた牧狩の作法を、肥後阿蘇社の古神事「下野の狩」の古習を学ばせるため、新田 梶原の二人の武将を派遣した。作法を習得した二人は、鎌倉への帰途、作法の成果を試すため、久住山南麓で牧狩を行い、果たせるかな、多くの獲物を捕獲、殺傷した。二人は、これらの動物の霊を 慰撫(いぶ)するために、■尊寺をさらに荘厳し、寺号を久住山猪鹿狼寺と改めたと云う(「阿蘇社縁起」など)。その後、天正期の 豊薩戦争 の戦火に 罹(かか)り、寺は坊中六坊を全焼し、本堂のみが残った。江戸時代初期の寛永年中(1624〜43)に、その本堂を現在地に移したと伝える(寺伝)。
〈久住山山岳信仰〉
久住山に対する 山岳信仰 は、古くから山頂の「上ノ宮」をはじめ、久住神社を「下宮」、猪鹿狼寺をもって「神宮寺」とする一連の関係をもつものの如く考えられ、当寺の本尊は、十一面観音である。文政6年(1823)6月の「久住寺永寺方絵図」によると、久住山麓の旧本堂の位置に、「久住山」とあり、旧本堂の前に鳥居が描かれており、前年の 久住神社 改築の際の棟礼によると、氏子は、久住 白丹 宮原 稲葉 産山 山鹿 波野 小池部 片俣と豊後だけでなく肥後国内にまで及び、寺の社僧は、猪鹿狼寺津梁坊光円法印、社人は、吉沢河内守と見えている(「久住山信仰」)。当寺の本尊十一観音は、古くから「久住山水源観音」と呼ばれていたと云い、大野川水源地帯に位置する寺として、この信仰は、当然と考えられる。猪 鹿 狼への信仰は、のちに習合し、寺の名を生んだものと考えられる。
〈しし権現〉
大野郡野津町西神野に所在する 熊野神社 の俗称。祭神は、 大山祇(おおやまずみ)神 宇気母知(うけもち)神(保食神)など。社伝によると、平安時代の末期、大野郡 宇目郷 に住む猟師兄弟が、ある日のこと、日向国境の山中でみごとな鹿を見つけ、神野の山中に追いつめた。しかし。西神野付近で急にこれを見失い、探し求めていた。とある岩場に奇光を発見し、近付いたところ、神が示原し、「吾は国土を保護する熊野の神である。篤く信仰すべし」と 託宣(たくせん)されたため、兄弟が 畏怖(いふ)して 祀(まつ)ったのが、当社であると云う。社伝では、これを久安2年(1146)のことをだとする。神社は、 臼杵川 上流の深い山中に所在し、 石灰岩壁 の洞穴中に祀られる奥の院と、川沿いのせまい平地に建つ社殿からなる。
〈しし権現への信仰〉
当社の創建に関しては、社伝以外にこれを証する史料は遺存しないが、奥の院洞穴中に安置される 宝塔(ほうとう) の一基の塔身中に、貞和4年(1348)の紀年銘を有する「 経筒(きょうづつ) 」が奉納されている事実などからして、すでに鎌倉期には信仰の地となっていたことが知られる。この経筒には、「 三重郷 内田村玄栄」の銘が見られ、その後、かなり広範な信仰圏をもっていたことが知られる(『シシ権現遺跡調査報告』)。この神社には、古くから、四国 宮崎 鹿児島 熊本県地方の猟師が、豊猟祈願に 参詣(さんけい)し、参詣を終えて境内を出たとたんに獲物が捕れるほど、霊験あらたかだったと伝える。
洞穴内の奥に院には、各所に鹿や猪の下顎骨が、うず高く積まれており、これは、猟師がしとめた初の獲物を神に捧げる習慣によるものである。現在でもなお、狩猟解禁直後に、この洞穴に詣ると、生々しく血に染った猪、鹿の下顎骨が、奉納されている場面に出合うことがある。この神社を守る社司の家では、「3月14日、15日の夜、社司家の屋上で、太鼓が自ら鳴る時は、国内で必ず吉事を生じ、社殿の内で鳴る時は、必ず凶事が起こる」と云い伝えられて来たという。
自然とともに生き続けて来た人びとにとって、猪、鹿などの動物は、その肉は重要な食料、皮骨は衣料その他に利用され、不可欠な存在にあり、そこに様々な信仰を生むのである。
[後藤 重巳]
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