庚申待 ( こうしんまち)
悪口言っても夜は寝るな
中国の道教思想では、 干支(えと)に当てはめて 庚申(かのえさる)の日の夜、人が寝たあと 三尸(さんし)と呼ばれる虫が体内から抜け出し、その人の罪過を天帝に報告するという。天帝はその罪過の程度によって、重い場合は命を取りあるいは寿命を縮めるのである。そこで人々は三尸虫が抜け出さないように、この日は徹夜をするという信仰が生まれた。庚申の日は61日目に回ってくるので、その日に徹夜するのである。これを 守庚申(しゅこうしん)と呼び、日本では平安時代初期には貴族の間で流行している。平安中期以降になるとこの夜は社交的集会の場ともなり、歌合せなども盛んに行われている。鎌倉時代には武士階層の間にも広まる。中世末期ではあるが、島津 義久(よしひさ)の部将で豊後とも関係の深い宮崎城主 上井覚兼(うわいかくけん) の日記に守庚申の様子が記されている。天正14年(1586)3月25日の記事で、庚申の夜なので乱舞 誹諧(はいかい) 盤之上(双六 将棋 碁など)などで「終夜慰め候」とある。平安貴族と同じ内容の守庚申である。一方室町時代になると庚申縁起が作られ、礼拝本尊も考えられ仏教的要素の濃い信仰にかわっていく。この信仰に 日待(ひまち) 月待(つきまち)の信仰が加味され庚申待を行うようになり、 講 も結成される。庚申待供養のために建てられる 庚申塔 も15世紀後半ごろから造立されるようになり、16 17世紀と江戸時代になると全国いたる所で庚申塔が見られるようになる。庚申待が民間信仰の代表の一つとなるのである。
〈庚申縁起〉
縁起といえば、一般には寺社の草創を中心に神仏の霊験、高僧の行状を述べる寺社縁起をさす。しかし庚申縁起は庚申を守る功徳 作法 供物 禁忌などを述べたものである。現在日本で確認される最古の庚申縁起は、 永弘文書 の中にある明応5年(1496)の「庚申因縁記」である(『 大分県史料 』4)。内容は、大宝元年辛丑正月七日庚申の刻に、摂津国(大阪府)難波天皇(王)寺の僧民部僧都重善のもとへ、帝釈天の使者の童子が下りてくるという文で始まり、庚申を守る功徳、庚申の座敷の供物、念じる仏の名、唱える文句、庚申を3年すなわち18度守ることによって一切の願望が成就すると記されている。県内では、これ以外に中世の庚申縁起は確認されていない。江戸時代になると各地に何点か残っている。内容も例えば功徳についてみると、武士には武運、百姓には豊作、番匠には諸職、商人には商売繁盛の守り神として、また道祖神 船霊様 市神(いちがみ)としても御利益があると述べている。あらゆる層の人々に庚申信仰が浸透していることが分かる。
〈庚申講〉
講とは、もともと仏典を講説する僧の集会の意であったが、後世にはさまざまな信仰集団も講名で呼ばれるようになった。天正2年(1574)造立の 大楽寺(だいらくじ) (宇佐市)門前の 石幢(せきどう) には「為庚申供養 結衆(けっしゅう)九人」と刻まれ、佐伯市堅田西野の天正4年(1576)造立の庚申塔には「欽奉造立庚申待人数講也」の文字がある。中世末の県内には各地で 庚申講 が組織されていたのである。江戸時代になるとさらに多くの講が組織され、1村内にいくつもの庚申講が存在するようになる。だいたい近隣数軒、多くて10軒前後が講を組織し、順番に 座元 を勤め庚申待を行うようになる。講には持ちまわりの掛軸 帳面などがあり座元になった家で管理する。掛軸には庚申の本尊とされる 青面(しょうめん)金剛が描かれており、それを掛けて礼拝する。江戸時代には神道系の庚申信仰も成立するが、こちらの掛軸には 猿田彦(さるたひこ)大神 を描く。徹夜をする風習は江戸時代も行われ、「他人ごと(他人の悪口)いうても夜は寝るな」といって遅くまで起きていた。しかしなぜ徹夜するのか理由は分からなくなっていたようである。夜遅くまで起きているとそこでいろいろの話し合いもする。その結果「庚申さんは話好きの神」とか、長話をすると「庚申の晩のごとある」などともいわれる。近世以降の庚申講はただ単なる信仰集団ではなく、日常共同生活に欠かせない組織であったともいえよう。
〈庚申塔〉
庚申信仰の所産として庚申塔の造立がある。ただ単に「庚申」と記した塔や1面6 臂(ぴ)の青面金剛像を彫った塔など様々である。神道系の塔は「猿田彦大神」の文字塔や猿田彦像の刻像塔である。現下毛郡から日田郡にかけての一帯には自然の丸石を庚申塔の周囲に 祀(まつ)る場合が多い。これは丸石を道祖神とする信仰と、庚申塔の 道祖神(どうそしん) 信仰の1面が結び付いたためである。塔造立の場所は路傍をはじめ寺社 堂宇の境内が多い。明治初期の 石祠 石仏 の整理統合の結果である。それ以前は村境 追分 橋のたもとなどに多く、 塞(さえ)の神 道祖神的性格が強くうかがえる。 国東半島 などでは、庚申は農の神だから田畑が見渡せる場所に立つなどともいう。61年目ごとの庚申年に立てるというが、そうでない例も多い。
参考文献 窪徳忠『庚申信仰』
[小泊 立矢]
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