国鉄 ( こくてつ)

二豊に鉄路が伸びる

 明治21年(1888) 九州鉄道株式会社 が創立されたが、同社の線路網は門司を基点に、福岡 久留米 熊本間と、佐世保 長崎方面の敷設が主力で、東海岸は 行事(ぎょうじ)(行橋市)までがつくられただけであった。23年11月に設立された 豊州鉄道株式会社 は、豊前8郡は土地 肥沃(ひよく)で物資に富み、大分県日田 玖珠地方より中津へ輸送する物産も 尠(すく)からずとして、「線路ヲ 京都(みやこ)郡行橋町、即チ九州鉄道支線ノ止マル所ニ起シ、築城郡椎田、 上毛(こうげ)郡宇ノ島ヲ経テ宇佐郡四日市ニ達ス。此ノ哩程28哩」を建設することを創立願にあげた。工事は24年の 水害 や 日清戦争 による経済的変動などで遅れ、さらに山側の四日市より海辺の 長洲(ながす)の方が便利などの理由で、30年9月25日行橋 長洲(現在の柳ヶ浦駅)間が開通した(『明治鉄道史資料』第2集第3巻 日本経済評論社 昭和55年)。
〈豊州線の開通〉
 県都大分町を起点として長洲停車場までの線路や竹田町に至る 鉄道 付設などを目的に 九州東南鉄道株式会社 や 二豊興業鉄道株式会社 がたてられ、31年には県会議員を中心に 大分県鉄道期成同盟会 が組織され、両会社の合併、県費補助など早期実現を図ったが、資金難で行き詰った。
 豊州鉄道株式会社も34年九州鉄道株式会社に合併 吸収された。そのため期成会は九鉄会社に対して大分町までの路線延長を交渉、同社から延長線敷設の出願が出され、仮免状が与えられた。折しも日露開戦で実測が中断されるなど計画が難行、さらに39年の鉄道国有法の発布で、九鉄路線も売収されるなどの問題も加わり延長線は見通しが立たなかった。しかし期成会長の 千葉 貞幹(ていかん) 知事 や 元田肇(もとだはじめ) 代議士など地元よりの陳情で政府も 斡旋(あっせん)に乗り出し、ようやく九鉄に本免状が与えられ、40年5月柳ヶ浦からの工事が始まり、同年6月工事区間の政府買収と未着手部分の継承が決まり、九鉄側の工事は中止された。41年3月宇佐 大分間(大分線)は第1期線に繰り上げられ、建設費4,485万1,035円で、6か年計画で 鉄道院中津建設事務所 (41年4月設置、44年6月大分に移転、大分建設事務所となる)によって、5月から8工区に分けられて工事が再開された。41年12月柳ヶ浦 宇佐間、43年12月宇佐 中山香間、44年3月中山香 日出間、同年7月日出 別府間、10月別府 大分間の工事が完了した。その間各区間の工事竣工と同時に営業が開始され、44年11月に大分までの全線が開通、宇佐から大分までは 豊州線 に加えられた。工事では橋梁100か所、トンネル7か所、特に中山香 杵築間の 陣田我王(じんだがおう)トンネル は約430mで165日間の工期を費した。最も難工事は浜脇 西大分間の高崎山麓の護岸工事で、高さ7.6m、延長1,106mを建設するのに約8か月を要した。開業当時、旅客列車は門司 大分間に1日6往復、所要時間は6時間余かかった(『大分線鉄道経過概要』大分県鉄道期成会 明治44年)。
〈日豊本線の開通〉
 43年12月大分 佐伯間の建設費820万9,323円が認められ、44年5月から大分以南の佐伯線の測量が開始された。大正3年(1914)4月大分 幸崎(こうざき)間開通、以後臼杵 津久見を経て、5年10月25日佐伯停車場の営業開始で全線が開通、豊州線に編入された。「幸崎 佐伯間ハ 巍峨(がが)タル溪山相 錯綜(さくそう)シテ西南ニ 屏列(へいれつ)起伏シ、山脚分岐シテ 汪洋(おうよう)タル豊後灘ニ 斗出(としゅつ)シ、 山觜(さんし)港湾多ク」といわれるリアス式海岸地帯を走る難工事であった。この路線では下の江 臼杵間に建設された 上臼杵駅 が、 政友会 の 山本達雄 の 臼杵駅 に対して、わずか1.6qの近距離に 憲政会 の 箕浦勝人(みのうらかつんど) によって作られた政争を象徴する駅といわれる。
 佐伯以南は5年8月から、佐伯 延岡間(日豊北線)の測量が始まり、12年12月 宗太郎(そうたろう)信号場の開業で延岡からの工事と結ばれて全線が開通した。これにより宮崎 延岡間(日豊南線)と連絡が出来、九州東海岸の主要都市を経由する 日豊本線 が完通する(『佐伯線建設概要』鉄道院大分建設事務所 大正6年 『日豊北線建設概要』鉄道省大分建設事務所 大正13年)。
〈豊肥線 久大線〉
 大分駅から佐伯駅を通って大分川を渡り、 下郡(しもごおり)信号場で分かれ、大野郡犬飼町に至る 犬飼線 は、明治45年12月着工、大正6年7月20日完成した。熊本 宮地間の宮地軽便線と結ぶための犬飼 宮地間が 豊肥線 として着工され、昭和3年(1928)12月2日阿蘇外輪山を坂上 隧道(ずいどう)でくぐりぬけて 玉来(たまらい) 宮地間が開通、豊肥線が全通した。
 大正4年大分 小野屋間で営業を開始した 大湯(だいとう)鉄道 は11年12月国鉄に買収され、久大東線として路線が建設され、昭和8年9月天ヶ瀬まで開通、久留米からの久大西線と9年11月15日日田 天ヶ瀬間の開通でつながり、 久大線 が全通した。久大線の支線として 宮原(みやのはる)線 (60年廃業)、 日田彦山線 がある(『日本国有鉄道百年史』年表)。
[吉田 豊治]

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