国民精神総動員運動 ( こくみんせいしんそうどういんうんどう)
一億一心銃後の守り
昭和12年(1937)第1次近衛内閣によって始められた 日中戦争 遂行のための思想統制で、日本精神高揚運動から献金、貯蓄、ぜい沢廃止などの運動にまで及び、国民の精神生活、物的生活を長期戦に順応するよう変革する役割を担った。40年運動は 大政翼賛会 に引き継がれ昭和20年まで命脈を保った。
昭和12年日中戦争が始まり戦争の長期化が予想されると政府は国民精神総動員運動を提唱し、更に翌年には 国家総動員法 を制定してこれに対処した。
国民を思想的に統制しようとする動きは既に 満州事変 のころから顕著になり、京大事件(昭和8年)での滝川幸辰の弾圧や国体 明徴(めいちょう)問題(同10年)での美濃部達吉の天皇機関説排撃など、学問 思想の自由は年ごとに奪われつつあった。
国体明徴とは、日本の国家体制(天皇制)が、天孫降臨(皇室の祖先が地上に天降る)の際のアマテラスオオミカミ(皇室の祖先神 伊勢神宮の祭神)の神勅に基づき、万世一系の天皇が統治するという世界に冠たる体制であることを明らかにし、もって臣民たる国民の精神的支柱たらしめようとするものであった。国民精神総動員運動もその根幹は同じで、日中戦争に際し民族的自覚を高め、ひいては献金、献納、貯蓄、ぜい沢廃止運動など戦争協力の活動を積極的に推進して、 銃後(じゅうご)(戦地に対し国内をいう)国民の戦意を高めようとするものであった。
〈県下での運動〉
県下では、県知事を長とする 国民精神総動員実行委員会 が設けられ、また目的の徹底を期するために総動員実行委員なども任命して市町村に講師として派遣するなどの措置もとった。しかし初めのうちは“精神を総動員する”との意味が理解されず、県議会での質問に答え知事が「国家ヲ第一トシテ自分ヲ考エ、或ル者ハ国家ノ為ニ県政ニ従事スル或ル者ハ国家ノ為ニ産業ニ専念スル」(『県会速記録』)と理解を促す場面もあった。13年1月の第2回総動員運動実施要領は以上見てきたことのほか、「特に誤れる個人主義、自由主義、功利主義、唯物主義の打破」(『 大分新聞 』)を掲げて県民の努力を促している。
12年10月13日から県下で初の 国民精神総動員週間 が実施されたが、これにこたえて各職場や学校ではそれぞれ実践計画を立てて行動に移した。この時 大分県警察部 の立てた計画は次のようなものであった。13日 戊辰(ぼしん)詔書 の朗読、14日出動将兵感謝の日、15日非常時経済の日 略、 羊毛の節約を励行するため左記事項の申し合せをすること、イ、今事変中は可成洋服を新調せざること、ロ、洋服は裏返し使用すること、ハ、家族も同様、 用紙類の節約をなすこと、 (前略)貯金をなすこと、 当日は各自必ず握り飯(日の丸弁当)を携帯すること、 当日は絶対禁酒のこと、 略、16日銃後を守る日、17日神社参拝殉国勇士を讃える日、18日勤労報国の日、19日非常時心身鍛練の日(『大分新聞』)。昭和13年5月25日の海軍記念日( 日露戦争 中の日本海々戦記念)には、竹田の 広瀬神社 で日露戦争で活躍した軍艦 比叡(ひえい)のメインマスト、45 糎(センチ)魚雷、弾丸、その他「七生報国」浮彫の奉納式が挙行され、ついで翌14年には大分市松栄山の 招魂社(しょうこんしゃ) が国策によって 護国神社 と改称され県民の 尽忠報国(じんちゅうほうこく)の精神を喚起した。
14年6月の第4回総動員運動実行委員会では、その実行大綱に“東亜新秩序の建設”、“一億一心”などのスローガンとともに生産力の拡充 消費節約 国民貯蓄 金の集中 廃品回収 体位の向上などに努めることが改めて打ちだされた。また運動の徹底をはかるために県 郡 市国民精神総動員常会の下に町村 部落(市では区長 隣保班(りんぽはん) 世話役係) 隣保班の各常会を置くこととした。9月からは毎月1日を興亜奉公日とし公私生活の粛正が叫ばれる中、翌15年2月に決定された県総動員運動実施要領は、前年9月の 第二次世界大戦 勃発(ぼっぱつ)や対米関係の悪化、長期化する戦争と生活必需品の欠乏する状況をふまえ、戦時生活の推進を再重要課題として新たに次のことを掲げている。 簡素生活ノ 実踐(じっせん)(後略)、 戦時経済道徳ノ確立、 闇(やみ) 売惜(うりおしみ) 買溜(かいだめ) 買占(かいしめ)等戦時重大時局ノ真義ヲ忘却セル非国民的行為ノ潜行ヲ徹底的ニ排除シ(後略)、 戦時食糧ノ充実確保、戦時食糧ノ増産ヲ図ルト共ニ、節米等ノ徹底的実踐ヲ期スルコト(「大分県報」)。昭和15年10月には国を挙げて“紀元二千六百祭”が祝われた。『 豊州新報 』は「はるけくも来つる紀元二千六百年、連綿不断の歴史を築き上げた皇国日本の悠遠巨大なるこの足跡(中略)、四海を 光被(こうひ)する皇国日本」と世界に冠たる日本をうたいあげたが、県下では各種団体が神社参拝の後、ラジオの近衛首相に合わせて天皇陛下万歳を三唱し、帝国の 隆昌(りゅうしょう)と皇軍の武運長久を祈願しつつ手に手に日の丸を掲げて街頭行進をした。この大イベントはいわば国民精神総動員運動の総決算であった。この10月総動員運動もその歴史を閉じ、大政翼賛会がこれに代わる。
[三重野 勝人]
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