米・大豆 ( こめ・だいず)
名柄米「岡米・臼杵米・中津米」
平成2年から大分県産米に「とよむすめ」の愛称をつけて広く宣伝し、県産米の売り込みに成果をあげているが、実は江戸時代に「 岡米 杵築米 中津米 」など現大分県地域の諸藩の米が、大坂堂島の米市場で銘柄米に指定され、好評を博していた。
〈「大坂登り米所蔵鑑」に見る豊前 豊後の米〉
江戸時代の大坂は「天下の台所」といわれ、堂島の米市場には全国の諸大名の大坂 蔵屋敷 に集まった年貢米や大豆と、仲買商人が農民から買い集めた米 大豆などの 納屋物(なやもの)などが出荷され、市にかけられた後、全国の消費地に送り出されて、まさに「天下の台所」にふさわしいにぎわいをみせていた。その堂島の米市場では、いつの頃からか米や大豆の品質や味などから自然と格付けがされるようになり、いわゆる銘柄米 大豆ができあがった。それを大坂堂島の渡辺橋筋の綿屋太助が米24銘柄 大豆3銘柄を版木に載せて、印刷したのが「大坂登り 米諸蔵鑑(まいしょくらかがみ)」(大阪城天守閣所蔵『江戸時代図誌』13)である。この中に上述のように現大分県地域産の米のうち、「 豊前米 中津米 臼杵米 岡米」と、「 岡大豆 」の5名柄が見られる。このうち「豊前米」を除く米 大豆は 中津藩 杵築藩 岡藩 がそれぞれ年貢として徴収した各藩産の米大豆であることがわかる。「豊前米」は現福岡県の豊前産米が一応考えられるが、小倉藩 小倉新田藩(千束藩)があったので、当然その藩名で呼称されたであろうことを考えると、「豊前米」は現大分県地域のうち、中津藩領を除いた旗本 時枝領 か、 宇佐神宮 領産の米である可能性が考えられる。ともあれ、米24銘柄 大豆3銘柄は「大坂の食い道楽」といわれた大坂の消費者の舌が選んだ銘柄であるので、その品質 味覚の程は折紙つきであったと考えてよいであろう。江戸時代の諸藩の勧農政策といえば 井路開さく や 新田開発 が中心だった。それは藩財政を支える年貢の確保 増収が目的であり、今日のような「おいしい米」の奨励などに思いも及ばなかった。しかし農民は年貢を納めて、手許に再生産のための余剰米を残すために多収穫品種を求め続けた。さらに「おいしい米」を求めるのに涙ぐましい努力をしていた。このことを如実に物語る例として、 盛岡藩 (南部藩=岩手県)の農民が探しあてた 豊後米 があげられる(佐藤満洋「盛岡藩における豊後稲の研究」『大分女子高校研究紀要26』)。
〈盛岡藩での豊後稲のル−ツは岡米か〉
盛岡藩では安永3年(1774)前後に数回にわたって「豊後稲植村禁止令を領内に発している(『藩法集』盛岡藩上)。しかし農民は中止せず、逆に豊後稲だけを植える者が増えたようである。植付禁止の理由は、盛岡地方は秋が短く冬の到来が早いため、晩稲である豊後稲は植付禁止というものだった。しかし夏日の期間が長い年には倍々の収穫があったようで、農民には魅力的な稲だったようである。さらに農民が豊後稲に執着した理由はその味覚だったと考えられる。盛岡藩の農民と豊後稲の出逢いは、伊勢神宮の帰途、京大坂の上方見物をした時であろう(寛保4年<1744>に藩当局は伊勢神宮のついでの京見物等を禁止している)。上方で豊後産の銘柄米の味覚に魅せられた農民が、大坂堂島でひそかに種 籾(もみ)を求めて盛岡に持ち帰ったのが、豊後稲と称されて普及したものであろう。江戸時代の稲の名称は今日のように農林番号で呼ばれたり、特定に愛称がつけられるのではなく、その稲の前栽培地名を冠したり、その稲を持ち帰った人の名前を冠して呼ぶ例が多かった。それで盛岡藩の農民は上方で入手したが、豊後産の稲であったことから豊後稲と称したものであろう。豊後稲の故郷である豊後でその母稲を特定するのは困難であるが、上述の大坂での銘柄米が早い時期から確立していたと仮定すれば、その候補として岡米か臼杵米が考えられよう。そして 岡藩 領と 臼杵藩 領を比べると、岡藩領の方が標高が高く、高冷地を含んでいるので、岡米の方が緯度の高い盛岡藩での栽培に適応しやすかったかと考えられる。
〈豊後で栽培された稲の品種は〉
では岡藩でどのような稲が栽培されていたのだろうか。残念ながら岡藩の記録に稲の品種を記録したものが見当たらないので稲の品種までは知りえない。そこで参考までに『豊後国 村明細帳 』に記されている 天領 の村々の稲の品種(盛岡藩で豊後稲禁止令が出された安永3年以前の)を調べてみると、「称郎 高崎 かばしこ あえつる 万石 称六」などが比較的多くの村で栽培されていたことを知りうる。江戸時代を通じてみると100種を越える品種名を数えるが、同種異名の稲でかつ「おいしい」稲を探し続けた証といえよう。また大豆は畑年貢として栽培が義務づけられていたが、岡大豆は大坂市場で銘柄に指定されており、岡大豆の値段によって大豆相場が決められていた。
[佐藤 満洋]
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