金銅仏 ( こんどうぶつ)
白鳳仏の微笑み
金銅仏とは、銅で鋳造した仏像に 鍍金(ときん)(金メッキ)をほどこしたものをいう。わが国で金銅仏の制作が最も盛んであったのは、飛鳥 白鳳時代、7世紀から8世紀のころである。しかし、木彫仏が全盛となった平安時代以後も、前代ほどではないが、 経塚 や山岳信仰に関連した造像が行われ、金銅仏に対する新たな関心が芽ばえたことが注目される。
〈金銅仏の鋳造技法〉
金銅仏の鋳造技法にはいく種類かの方法があるが、飛鳥 白鳳時代の金銅仏では大部分が蝋型によって制作されたと考えられる。その工程は、大まかにいって、原型制作、原型からの鋳型取り、鋳込み、型からはずしての表面処理、鍍金の順序で行われる。まずはじめに、土で中型をつくり(多くの場合鉄心を立てる)、その上に蜜蝋(蜜蜂の巣から採取)をきせ表面の像形を整えて原型(蝋型)を制作する。次に原型の蜜蝋の上に再び土をかぶせ外型をつくる。その際中型と外型のずれを防止するため蜜蝋部に焼いた土か銅でつくった方形の型持を取付ける。こうしてできた外型を火で焼きしめ、蜜蝋をすべて外へ流し出し鋳型をつくる。この蜜蝋を抜いた中型と外型の間に溶銅を流し込んで凝固させ、外型をはずすと銅製の像が出来あがる。最後に像の目鼻立ちや衣文など細部をタガネで整形し、中型の土を除去、表面に鍍金を施こす。なお、平安後期金銅仏は、合わせ型によって鋳造されたものが多い。これは、木ないし土で原型をつくり、その上に土をきせ、この土を前後などに割り、再び合わせて鋳型を制作するもので、割型とも呼ばれる。また、東大寺大仏のような巨像を制作する場合には、全体を一鋳することが不可能なので、数段に分けて順次鋳造を重ねるなど、異なった鋳造方法がとられている。
〈 念持(ねんじ)仏としての金銅仏〉
金銅仏は、法隆寺釈迦三尊像などのように寺院の本尊として、いわば公的な目的のために制作されることもあるが、多くの場合は、念持仏というより個人的な用途のためにつくられたと考えられる。それも、後掲の 長谷寺(はせでら)観音 菩薩(ぼさつ)像 のように、故人の追福を祈ると同時に造立者の後生安全を託しての造像であったようである。 天武(てんむ)天皇14年(685)には、諸国の家ごとに仏舎をつくり、仏像および経を安置して礼拝供養せよ、との詔が出されている(『日本書紀』巻29)。飛鳥 白鳳時代を中心に多く造像された小金銅仏は、まさにこうした個人の礼拝供養のために制作されたものであろう。ところで、平安時代の金銅仏は、飛鳥 白鳳期のものに比べてさらに小規模な像高20p以下のものが多い。これは、材質的に強健な金銅仏が、永遠不滅の仏として 経筒(きょうづつ) や 経筥(きょうばこ) に納め、経塚に埋納することを目的に制作されたためである。また、この期には 金峯山(きんぶせん)信仰にもとづいて山岳の洞窟等に安置された 蔵王(ざおう)権現像なども出現し、金銅仏に対する新たな信仰も生まれている。
〈大分の金銅仏〉
白鳳時代、7世紀後半には県北の宇佐を中心に寺院の出現をみた大分県ではあるが、この期に制作された金銅仏の遺例は極めてないのが実状である。大分市 柞原(ゆすはら)八幡宮 の 如来立像 は、県内の数少ない金銅仏の中にあって、白鳳仏の特徴をもつ最優品である。像高30.6p、やや面長の顔立ちには、童子を思わせる白鳳仏特有の微笑みを浮かべる。ほぼ等間隔に刻まれた衣文やS字状の襞は、やや装飾的ではあるが明快である。7世紀も後半の造立であろう。頭頂から台座まで一鋳であり、台座を除く本躰部は中型をつくらないムクの像である。随所に残る鍍金の痕跡が鮮やかである。社伝によれば、本像は柞原八幡宮の本地 阿弥陀(あみだ)如来 として伝わったものである。三光村八面山中腹にある長谷寺の観音菩薩立像(像高30.0p)は、制作年代とその経緯の明らかな白鳳仏の規準作として貴重である。すなわち、台座丸框の側面に「壬歳次攝提格林鐘拾伍日周防凡直百背之女■背児為命過依誓願観世音菩薩作奉」と陰刻され、壬寅年六月十五日に周防の凡直百背の女が亡くなったので、誓願によりこの観音像がつくられたことがわかる。清やかな童顔、左膝をやや緩めて立つ姿態の絶妙のバランス感覚など、像の様式からみてこの壬寅年は大宝2年(702)とみるのが妥当であろう。 本耶馬渓(ほんやばけい)町 羅漢寺(らかんじ) の 観音菩薩立像 (像高27.1p)は、前二者に比べやや彫口にシャープさが欠け、眼尻の吊り上がったふくよかな面相、厚手の 衣文(えもん)に肉付きのよい体躯など8世紀前半ころの造立であろう。そのほか、8世紀後半ころの制作になる金銅仏として、三光村 瑞雲寺(ずいうんじ)跡 出土の 釈迦(しゃか)誕生仏 があり、また平安時代の唯一の遺例として、 安岐(あき)町 梅友庵 の 釈迦如来坐像 がある。とくに後者は、合わせ型による鋳造技法の作例として貴重である。
[渡辺 文雄]
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