移出入品 ( いしゅつにゅうひん)

県産業構造の象徴

 大分県内から県外各地に運び出され、また県外各地から大分県内に運び込まれる物品をさしていう。その物品を点検することによって、各時代の大分県の産業構造が象徴的に表現されることとなる。また移出入先は、国内のどの地域が県経済と深い関係にあるかを物語る。大分県の移出入品は、明治11年の『 大分県年報 』ではじめてかかげられて以降、『 大分県統計書 』『 大分県統計年鑑 』にも毎年とりあげられている。ただし、移出入先が国内か国外かにかかわりなく、明治期から「輸出入」という言葉がつかわれるようになり、数値整理項目も変化している。
〈明治前半〉
 明治11年の『大分県年報』では、11年下期のみの移出入実績が記されている。「精密ノ調査」ではなかったことが明記されているが、主要移出品は 七島莚(しっとうむしろ) 魚類 雑品 椎茸(しいたけ) 米 紙 たばこ 、主要移入品は酒 米 雑品等となっている。明治21年時点の詳細な調査記録である『 大分県農事調査 』によると、県産米の76%は県内で消費され、残りの24%が移出されているという。米の移出価額の70万円は、当時の県歳入総額の2倍を超え、移出品目中断然突出している。移出価額が1万円を超す品目は、米のほか、たばこ 菜種 大豆 小麦 大麻 茶 裸麦 櫨(はぜ)実 みかん などであった。このうち、裸麦(98%) 小麦(93%) 大豆(84%)などは県内で消費される割合が高いが、大麻(49%) 菜種(46%) みかん(44%)は産額の半分近くが県外に移出されており、大分県の代表的な換金作物であったということができる。米 たばこ 大豆 裸麦などは移入額が1万円以上で、主要移入品でもあるが、いずれも移出額の数分の一程度である。大分県が圧倒的な農産品供給県であることは明らかであろう。なお移出先は、九州では福岡県と熊本県、全体的には大阪府 兵庫県 下関をはじめ、瀬戸内沿岸の諸県が多い。
〈明治後半の変化〉
 その後も米は、大分県移出品のトップであり続けるが、材木や薪 清酒等の移出価額が上昇しており、県下における産業構造のゆるやかな変化を読みとることができる。移入品では、たばこ 清酒が米を抜いてトップに立つようになり、そのほか砂糖や綿織物などの上昇が目につく。移入先は、大阪 神戸 下関 福岡 鹿児島などである。こうして、産業革命を終えた明治後半には、工業製品 完成品の移入県、食糧 原材料の移出県という位置づけがほぼ固まって来る。
〈移出入港の盛衰〉
 港津別に移出入総価額を見ると、明治16年は@ 大分港 、A 中津港 、B 別府港 、C 乙津河岸 、D 隈河岸 の順であったが、25年には@中津港、A大分港、B 長州(ながす)港 、C 臼杵港 、D 佐伯港 の順となり、河岸の港の衰退が目立つ。陸上交通の発達と海洋での蒸気船の普及など、輸送船の大型化などと深い関係があろう。長州港は豊前米の移出と豊前一帯の肥料移入基地の役割を果たしたが、移出入品目の種類は少ない。県下の三大人口密集地である中津 大分 臼杵の三港は、物品流通基地としてもクローズアップし、移出入品も多種に及んでいる。明治36年には、@臼杵港、A大分港の移出入額が突出し、B中津港、C別府港、D隈河岸などがこれに続いている。各港での移出入品とも、年を追うごとに多種に及ぶことはいうまでもない。
〈陸上輸出入貨物〉
 大正期にはいると、 鉄道 の普及と相まって、『大分県統計書』の中にも「陸上輸出入貨物」の項目が出現する。大正14年実績で、輸入貨物総価額3,400万円余、輸出貨物総額2,830万円余となっており、港津輸入貨物価額にかなり接近しつつある。大分 西大分 中津 隈豆田 臼杵 杵築の各停車場では輸出入貨物価額とも、高田(絹糸 塩 米) 柳ヶ浦(米 繭 生糸 )両停車場は輸出貨物価額のみ、鶴崎(砂糖 肥料 馬 金物) 長州(小麦粉 肥料 酒類)の両停車場は輸入貨物価額のみ100万円を超えている。大分および西大分停車場の輸出入貨物価額合計は全体の27%に達し、物流面における比重をますます強めつつある。両停車場の主要輸入品は繭 米 肥料 薬品 木材 綿 たばこなどであり、輸出品は米 生糸 綿糸 青莚(せいえん) 繭 薬品 塩などであった。全県的に陸上輸出品をみると、津久見のみかんや県南の魚類、豊肥地区の牛馬や木材、日田の材木 下駄、別府の 竹細工 などが目にとまり、輸送手段の変化 発達が、各地域の特産品づくりに大きく関係することが判明する。なお、木材や鉱石類等は船舶輸送が中心であり、輸送機関別に輸送品の選別が行われ始めるのも、大正期の特徴であろう。やがて自動車が普及し、飛行機が登場するとその傾向はますます強まって行く。
 参考文献 『大分県統計書』
[末広 利人]

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