佐伯氏 ( さえきし)
宮廷を守るエリート豪族
古代における有力氏族の一つ。大伴氏と同族との伝承もあり、軍事をもって朝廷につかえた。古代における佐伯氏は様々な流れがあった。
〈佐伯 宿禰(すくね) 佐伯 直(あたい) 佐伯 部(べ)〉
まず、 佐伯宿禰 は『 新撰姓氏録(しんせんしょうじろく) 』左京神別中によれば、天孫降臨に際し 瓊瓊杵尊(にぎのみこと)に従った 天忍日命(あめのおしひのみこと)を祖とする 大伴(おおとも)氏と同祖とされる。佐伯宿禰は大伴 談(かたり)の子 歌(うたふ)が佐伯部の統轄という新しい職掌を得て大伴氏からわかれた家柄とも考えられている。実際に親族であったかは不明であるが、大伴家持の『 万葉集 』巻18の歌の中に「大伴と佐伯の氏」と見え、同族意識を持っていたことがわかる。もともと 連(むらじ)の 姓(かばね)(貴族の身分を示すため朝廷から与えられた称号)を有し、天武天皇13年(684)のいわゆる「 八色(やくさ)の姓 」の制により宿禰の姓を与えられた。律令制以前から軍事にかかわることが多く、大化元年(645)の 蘇我入鹿(そがのいるか)暗殺に 佐伯連 子麻呂(こまろ) が関係し、入鹿の足を傷つけ止めを刺している。律令制整備以後も武官に任ぜられる者が多かった。藤原宮以後の 大内裏(だいだいり)の門号には軍事上有力な氏族の名がつけられたが、西面中央の門は佐伯氏の名をとって佐伯門とよばれ、のち平安宮では藻壁門となった。奈良時代には、造東大寺長官として大仏造立や東大寺建立に尽力し佐伯氏としては異例の従三位の位を与えられた 佐伯 今毛人(いまえみし) などが有名であるが、藤原氏の勢力伸長をめぐる陰謀事件に巻きこまれて罰せられる者もあらわれ、氏族の勢いは次第に衰えた。
佐伯部は『 日本書紀 』景行天皇51年条に、日本武尊が東国遠征の際に捕えた 蝦夷(えみし)(東部 北部の原住民)を伊勢神宮に献上したが、昼夜なく騒がしいので播磨 讃岐 伊予 安芸 阿波に移して住まわせたとみえる。これをそのまま事実とは認めがたいが、伊予を除く4か国については他の史料より 佐伯部 やその管轄者である 佐伯直 の存在を推測できるので全くの虚構とは考えにくい。おそらく大化以前の5〜6世紀ごろ大和政権の征討により「部民」(豪族の隷属民)となった蝦夷であることは誤りないであろう。佐伯部の「佐伯( 佐倍岐(さえき))」とは、朝廷の命を「 塞(さえぎ)る」という意味である。各地域において佐伯部を管轄していたのが佐伯直である。直の姓を持つ佐伯氏は、『新撰姓氏録』右京皇別下によれば景行天皇皇子稲背入彦命の 後裔(こうしょう)とある。佐伯直は播磨 安芸 阿波 讃岐 豊前などの瀬戸内海沿岸に見え、佐伯部を統轄していたと考えられる。もともとはその地域の国造であり、佐伯部を統轄するため佐伯直という姓を帯びるようになった。これら地方の佐伯直は佐伯部を率いて交替で中央に上り、宮廷の警備にあたった。そして中央にあっては佐伯連がこれを統率した。平安時代の高僧、弘法大師こと空海は讃岐の佐伯直の出身である。
〈豊後の佐伯氏〉
豊後に関係する佐伯氏としては、まず奈良時代に豊後守に任ぜられた 佐伯宿禰 久良麻呂(くらまろ) があげられる。『 続日本紀(しょくにほんぎ) 』によれば、久良麻呂は神護景雲元年(767)8月11日に 豊後守 となり、4年後の宝亀2年(771)7月23日に民部少輔に転任している。久良麻呂は豊後守に任ぜられた時従五位下の位にあり、その後陸奥鎮守権副将軍として出羽国を鎮定するなどの功績をあげ、22年間の官人生活を送り、従中四位上にまで昇った中流貴族であった。海部郡の佐伯の地名の語源について、久良麻呂が海部郡 穂門(ほと)郷 に住み 佐伯院 佐伯荘 を構えここを根拠地としたためという説があるが確証はない。また、伊予佐伯部の移住によるものとの説もあるがこれも確証はない。平安時代に入ると、藤原純友の乱で活躍した純友次将 佐伯 是基(これもと) があげられる。『 本朝世紀(ほんちょうせいき) 』によれば、是基は純友が捕殺された後の天慶4年(941)8月17 18日の日向国の合戦で生け獲られた。同年11月29日に是基は京都の左衛門府に到着し、左獄に下されている。純友の死後、朝廷は何度も賀茂神社や石清水八幡宮などに是基の討滅を願う奉幣を行っており、京都の貴族にとっては恐怖の対象であったらしい。また是基の部下 桑原生行(くわばらなりゆき) は同年11月6日、豊後国海部郡佐伯院で最後の抵抗を試み生け獲られたが、戦いの傷により8日に死亡し、その首は是基と一緒に京へ届けられた。是基軍が佐伯院で最後の抵抗を試みたのは、佐伯院が是基の本拠地であったためとも考えられるが推測の域を出ない。平安時代末期にには 豊後 大神(おおが)氏 の一族 緒方三郎 惟康(これやす) が佐伯氏を称した。大神氏の祖 大神 惟基(これもと) が佐伯是基に当たるであろうとの説もある。佐伯氏は佐伯荘地頭として以後この地域に勢力を張った。
参考文献 角田文衛『佐伯今毛人』
[安田 晃子]
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