坂門の津 ( さかとのつ)

古代九州のウォーターフロント

 奈良平安時代に、豊後国海部郡に置かれていた 国津(くにのつ)。国東郡 国埼津(くにさきのつ) 、豊前国 草野津(かやのつ) とともに東九州の重要な港であった。
〈海の支配と古代国家〉
 船の旅立ちは、車や電車の旅立ちとは、一種ちがった趣がある。それは、未知(非日常)の世界との接触という旅の性格から考えると、山や丘よりも海や川の方が、住む世界の区切り(日常と非日常の区切り)を明確にしてくれるからであろう。この二つの世界を結ぶ海や川は、陸上の権威や支配がおよびにくいところであるが、それだけに、もし海を統制できれば二つの世界を支配できることになるのである。そのため 大和政権 は早くから海、とくに重要な海上交通路に接した海域に生きる人々を、 海部 という部民にして海の統制 支配にあたったのである。豊後国に海部郡が設置されたのも、大和政権がこの地域に海部を編成し、瀬戸内海西南部をおさえていたことの現れである。そしてその伝統の上に、この地域に坂門津という、おそらく豊後国の国津( 国衙(こくが) が管理し、豊後国の 官物(かんもつ)をつみだす港)が置かれたものと考えられる。
〈瀬戸内交通路の中の坂門津〉
 大和政権と豊後国のつながりをしめす『 豊後国風土記 』の 景行(けいこう)伝説 によれば、海から豊後地方に上陸しようとした大和軍は、海部郡 宮浦 に上陸し大分に向かったという。宮浦が、現在のどの地域にあたるかは不明であるが、大和政権にとって、海部郡地域がいかに大事な地域であったかを、この伝説は示している。また「伊予国風土記」逸文にみえる 速見湯(はやみのゆ) の伝説も、大和、伊予、海部 大分 速見のむすびつきの強さをしめしていると考えられる。このうち、伊予と豊後のむすびつきの強さは、たんなる支配者同士のむすびつきではなく、民衆同士のむすびつきの強さによるものであった。霊亀2年(716)に政府が、貴族の使者の往還を許しながらも、伊予と豊後の境においていた 戍(まもり)を廃止しなかったのは、この海域を交通路として確保する一方、民衆のつながりさらには移動を禁止するという目的を実現する政策であった。瀬戸内海には当時ふたつの海上交通路があったとされるが、中軸たる山陽道沿岸コースにたいし、北四国沿岸 豊後コースは副次的に利用され、坂門津はその終着点であった。
〈海運の統制と承認〉
 天平18年(746)政府は、豊後 日向国から都に出仕している兵衛 采女(うねめ)などが生活物資を国埼津を経由して都へ運ぶ以外は、役人や商旅の人々が豊前国草野津 豊後国国埼津 坂門津から勝手に都に向かったり、調や米などの公物を運び出すことを禁止するという命令をだしている。このことは、逆に禁止されるほど坂門津などの港から物資が運び出されていたことをうかがわせるのである。本来政府は、物の輸送は陸運を原則とし、海上輸送は、極力これを制限していた。ただし九州の場合は、通行証明書である 過所(かしょ)を 大宰府 が発行し、これを豊前門司で確認した場合のみ、瀬戸内海を輸送することを認めていたのであるが、こうした政府の意向とは逆に、地方の役人たちは盛んに海運を利用していたのである。この禁令にもかかわらず、役人や商旅の人々は、その後も海運を利用していたようであり、ついに政府自身も、天平勝宝8歳(756)に山陽道の国々の米は海路をとって輸送することを命じ、また神護景雲3年(769)には、海しずかな時に、大宰府からの調綿を運ぶように命令をだしているのである。このように海運が盛んになっていくのにたいし、延暦15年(796)大宰府は、摂津国で過所が豊前門司での確認をうけているかどうかを調べ、違反しているものについては処罰することを、政府にもとめている。ところが下された決定は、坂門津 国埼津などからの往来を承認すること、その場合大宰府の発行した過所は必要だが、過所はそれぞれの港で確認し、必ずしも豊前門司での確認を必要としない、というものであった。海運はここに全面的に、承認されたのである。
〈国津としての坂門津〉
 九州東海岸は、その地理的位置からみて、瀬戸内海水運の基地になるべき地域であった。そこには多くの港があったであろうが、その中で、豊前草野津 豊後国埼津 豊後坂門津が、三津として 賑(にぎ)わったのは、これらが国津ないしは郡津として、公用物資の積み出し港とされていたためである。これらの港は、各国の国司や郡司が雑徭として農民を動員し、造営 修理にあたっていたが、さらに延暦15年の政府命令に、各港で過所を確認せよとあるので、そのための役人も常駐していたと考えられる。豊前国草野は現在の福岡県行橋市草野、国埼津は東国東郡国東町鶴川付近に比定されるが、坂門津の所在は北海部郡佐賀関町と大分市坂ノ市付近の2説がある。しかし国津という性格を考えれば後者が有利であろう。
[西別府 元日]

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