三角縁神獣鏡 ( さんかくえんしんじゅうきょう)
卑弥呼がもらった鏡
三角縁神獣鏡とは、古代中国の神仙思想にもとづく「東王父」「西王母」などの神仙や霊獣の姿を 浮彫(うきぼ)りふうに表わし、外縁の断面が三角形をなす鏡のことである。この種の鏡の中に「……いにしえに聖人東王父西王母あり、渇けば玉泉を飲み、飢えれば 棗(なつめ)を食す……」といった不老長寿の神仙境を表現した銘文がしばしば見られ、神獣鏡は、そうした神仙境への憧れをこめた鏡であることを物語っている。これらは、いずれも直径20cmを超える大型の鏡で、表現された神仙や霊獣の像数によって、二神二獣鏡、四神四獣鏡などと種類を呼びわける。
三角縁神獣鏡には、中国で作られたもの―舶載鏡と、それに遅れて日本で作られたもの― 製鏡(ぼうせいきょう) とがあり、いずれも古墳時代の前期(4世紀代)を中心に重要な役割を果たした。
〈兄弟の鏡一同笵鏡〉
同じ鋳型または同一の原型から作られた鏡は、当然、細部まで全く同じ文様をもつことになるが、同一の型から作られたこの兄弟の鏡を 同笵(どうはん)鏡 と呼んでいる。三角縁神獣鏡の大きな特徴は、同笵鏡が非常に多いことであり、現在までに300面あまり知られている中国製の三角縁神獣鏡のうち、70種以上に同笵鏡が確認されている。そしてこの兄弟の鏡は、離れ離れになって全国の古墳に副葬品として納められるが、もともと同じ所で一緒にいたに違いない兄弟の鏡が、何故に別れて各地に行ったのか、それは日本の古代史の謎を解く大きな鍵である。
〈鏡の果した役割〉
各地の古墳の間で分けもたれた同笵鏡の分布をくわしく検討し、画期的な古墳文化論を展開したのは小林行雄(元京都大学教授)である。小林は、昭和28年(1953)、国鉄奈良線の拡幅工事に伴って発見された京都府相楽郡山城町の椿井大塚山古墳の32面以上に上る三角縁神獣鏡の調査から、この古墳が同笵鏡の分有の中心であることを確認し、各地の古墳にみられる同笵鏡は、椿井大塚山古墳の主が地方首長に配布したものであり、鏡の配布が示す政治的関係の成立こそ各地に古墳を成立させる契機となったことを論証したのである。事実、椿井大塚山古墳は、全国40以上もの古墳と同笵鏡の分有関係をもっており、この古墳の主が直接に鏡の配布に関わったか否かはさておき、これが初期 ヤマト政権 の中で重要な位置を占めていたことは疑問の余地がない。このように鏡は、統一王権への道を歩む初期ヤマト政権が、政治的な同盟関係を結んだ地方首長に、その証しとして配布した極めて政治的な遺物なのである。
〈三角縁神獣鏡のふるさと〉
「銅は徐州に出 師は洛陽に出」これは、三角縁神獣鏡にしばしばみられる銘文である。この銘文が三角縁神獣鏡のふるさとを推定する上で重要な意味をもっている。まず、徐州の地名だが、徐州とは、漢代に彭城と呼ばれていた所で、これを徐州と改めたのは三国時代の魏である。また、洛陽の地名は、前漢時代の末以来、 陽という表記が用いられており、これを再び洛陽という表記に戻したのも魏である。さらに、三角縁神獣鏡に鋳出された年号に、景初三年、正始元年のような魏の年号がみられるという事実がある。これらの点から三角縁神獣鏡は魏で作られたとするのが有力である。しかし、不思議なことに、この種の鏡は中国本土では1面も出土していないのである。このことから魏での製作に疑いをはさみ、中国の渡来工人が日本で製作したとする学説もあるが、今のところ魏鏡説の優位は変わっていない。
〈卑弥呼のもらった鏡〉
三角縁神獣鏡が魏の鏡だとするなら、注目すべきいくつかの問題に思い至る。魏は、かの 邪馬台国(やまたいこく) が親交をもった国であり、両国の間には一再ならぬ交渉のあったことが「魏志倭人伝」などに明記されている。特に景初三年(239)の女王卑弥呼の遣使の記事は重要である。この年、魏の皇帝に使者を送り、貢物を献じた 卑弥呼(ひみこ) は、「親魏倭王」の称号とともに、さまざまな下賜品を授かったが、なかでも、 汝の好物 として賜わった銅鏡百枚には甚だ興味をそそられる。実は、この時に卑弥呼がもらった鏡は三角縁神獣鏡であった可能性が高いのである。この年の年号をもった三角縁神獣鏡が存在することは、それを傍証する有力な証拠といえよう。
〈大分の三角縁神獣鏡〉
県内の三角縁神獣鏡で第一に重要なのは宇佐 赤塚古墳 出土の5面(盤龍鏡を含む)があげられるが、うち4面が椿井大塚山などと同笵関係にある。また、赤塚と同じ 川部 高森古墳群 中の 免ヶ平古墳 出土の 製神獣鏡 も多数の同笵鏡をもっている。その他、宇佐周辺出土と伝えられる舶載鏡 製鏡が各1面知られており、古墳時代前期における宇佐地方の特別な位置を示唆している。これ以外には、大分市 亀甲山古墳 (舶載)、伝竹田市 七ツ森古墳 ( 製)に1面ずつある程度で、宇佐地方の優勢が顕著である。
[甲斐 忠彦]
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