在郷軍人会 ( ざいごうぐんじんかい)

徴兵を支える人々

 明治43年(1910)11月3日、伏見宮を総裁にして発会した帝国在郷軍人会は、予備役後備役の将校、准士官、下士官兵など在郷の軍人をもって構成され、軍人精神の向上を図ることに努めるとともに軍人遺族、公傷病者の救護に力を尽くすことを目的とする組織であり、事業として講演会、機関雑誌などを発行している。常に応召の準備を整え、召集事務、徴兵検査、簡閲点呼に協力し、さらに現役又は補充兵たる入営者のための予習教育(壮丁教育)に当たり、大正15年(1926)4月20日青年訓練所令が制定されると、その教練を担当した。本部(東京)、支部(連隊区司令部所在地)、連合分会(各郡)、分会(市町村)に区分された(「帝国在郷軍人会規約」)。
〈帝国在郷軍人会大分支部〉
 大正6年に改訂された「帝国在郷軍人会大分支部規約」には、支部事務所は 大分連隊 区司令部に置き(第2条)、支部長は大分連隊区司令官(第8条)とあり、現役でない在郷軍人も有為に備えるために強い統制下に置かれていた。支部での事業として第6条に、「支部内各分会ノ向上発展ヲ図り、其斉一進歩ヲ期スル為メ支部報ヲ発行シ、又臨時ニ総会ヲ開催スルコトアリ」とある程度で、ほとんど帝国在郷軍人会規約の第15条に19項目にわたって示された事項を分会(市町村、工場、鉱山、会社単位)を中心に実施した。支部規約の実施要領(付表)の主な事業は、勅諭奉読式(新年、紀元節、天長節に町村団体、青年会、学校等と合同で実施)、3月10日の陸軍記念日祝典(軍事講話、武術又は模擬戦を行い地方尚武心の振作に努む)、5月27日の海軍記念日も同じ、4 9 10月戦死病没者の祭典を町村と合同で実施、11月は入退営兵の送迎、7 8月の簡閲点呼の際の予習等があった。さらに在郷軍人に課された重要な事業として4 5 6月の徴兵検査前の 壮丁(そうちょう)予習教育と10 11月の入営前の壮丁予習教育があった。いずれも規約(付表)の「壮丁予習教育課目程度表」によって実施され、学科は前者は徴兵検査の諮問に明瞭に応答できるよう、建国の大意、兵役義務、徴兵検査の意義などを壮丁読本で指導、後者はその他入営兵の心得をあらかじめ了解させ、補充兵の場合は服務令、召集令などについて徹底させた。さらに各個教練、徒手体操、分隊教練、武技、敬礼などの術科も指導し、入営後の軍隊生活を円滑に進める最低限の教養をつけさせる役割を負わされた。
〈青年訓練所の教練〉
  第一次世界大戦 後の軍縮に伴い、現役将校の活用と現役在営期間短縮を計画し、大正14年4月11日、陸軍現役将校学校配属令が制定され、中等学校以上で教練が実施されることになった。さらに一般青年にも15年4月20日青年訓練所令が制定され、16歳から20歳までの男子を対象に「青年ノ心身ヲ鍛練シテ国民タルノ資質ヲ向上セシムル」ことを目的として設置された。同年6月青年訓練所教練査閲規程、11月には青年訓練修了者検定規程が定められ、昭和2年(1927)11月30日より施行された兵役法によって検定合格者の在営期間は6か月以内の短縮が認められるようになった。
  青年訓練所 は県内でも大正15年から各地に設置され、昭和5年には公立295、私立5、在所生徒数は1万3,359名にも達した(『優良青年訓練所』大分県 昭和6年7月)。この中で昭和5年2月に文部省から表彰された下毛郡 鶴居(つるい)青年訓練所の「施設経営上特ニ留意シタル点並ビニ将来ノ方針ニツイテ」を見ると、各種団体との連絡情況で第一に在郷軍人会をあげ、「イ、教練指導ハ在郷軍人分会責任ヲ以テ之ガ指導ヲナシ、教練指導員ト協力シテ之ガ計画ヲ樹立シ、教練実施日ハ分会役員出席シ督励ヲナシ、又ハ助手トナリテ連絡ヲトリツツアリ。ロ、在郷軍人会ノ各種集会ニハ訓練所指導員及ビ生徒出席シ、常ニ有機的関係ヲ保チツツアリ。ハ、年1回在郷軍人会ト連合シテ発火演習ヲ行ナウ(陸軍記念日等ニ行ナウ)」と報告している。また野外教練として発火演習(年1回)のほかに 耶馬渓射撃場 での実弾射撃(年2回)、 飯盒炊爨(はんごうすいはん)及び夜間演習(年3回)、兵営見学宿泊(年1回)、登山遠足(年2回)が実施されている。このような青年訓練所の教練を担当する在郷軍人会に対して、県からは1,500円の補助費を出していた。大正15年11月27日の通常 県会 では、各分会の連絡や在郷軍人訓練などの費用も含めて補助費増額の要求が出された。青年訓練所の指導に当たる在郷軍人によってわが国威が保たれている。この精神団体である在郷軍人会への補助費を他の県営住宅などのような補助費と同列に扱ってよいのかという趣旨であったが、県としては同感ではあるが昨年度数倍に増額していることとなどで困難であると答弁している(大正15年度『通常県会議事録』)。なお青年訓練所は昭和10年 実業補習学校 と統合、 青年学校 となる。
[吉田 豊治]

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