石橋 ( いしばし)
大分のアーチ石橋はどこから来たか
石橋には、岩橋(自然石)、沈み橋、 桁(けた)橋などがあるが、ここでは主としてアーチ構造の石橋について述べる。アーチ構造とは、いくつもの石を積み上げ互いに押し合う力を利用して円弧の橋を造る仕組みをいう。
〈アーチ石橋のルーツ〉
アーチ原理の発見はメソポタミアといわれるが、土木技術として発達させたのは紀元前1世紀〜紀元後1世紀ごろのローマ帝国であった。石橋の技術はローマから全ヨーロッパへ、またシルクロードを経て中東や東アジアへも 伝播(でんぱ)した(中国では独自発生説もある)。
日本で最初の アーチ石橋 は、長崎の「 眼鏡橋(めがねばし) 」(寛永11年、1634)で明の渡来僧 如定(にょじょう) の指図で架けられた。
〈石橋の技法 肥後から豊後へ〉
17世紀長崎に始まった アーチ石橋 は、18世紀末に肥後領内に伝えられた。肥後の石橋は、中国風だった「長崎式」をより土着化した「熊本式」と呼ばれる特徴を生み出した。長崎式が壁石の布積み(平行積み)と高欄の美麗な装飾に特徴を見せるのに対し、熊本式は壁石が乱積み(粗石積み)であること及び高欄が質素なことが特徴である(山口祐造『石橋物語』上巻)。豊後に入って来たのはこの熊本式である。肥後藩の 参勤交代 道である 肥後街道 やその延長の 伊予街道 に、熊本式のアーチ石橋が点々と架けられた。久住町(当時の 久住 手永(てなが) )の 神馬(かんば)橋 田町橋 境川橋 、佐賀関町(当時の 関手永 )の 西谷橋 などが現在も残っている。これらの石橋は文政4年(1821)以後の文政年間(〜1829)に建造されたものである。
〈石工の系譜〉
上述のように技術の系譜は明白に熊本式だが、なぜか肥後石工の名はほとんど出てこない。わずかに日田天領に嘉永2年(1849)架設された 歌詠(かえい)橋 (流出) 小月橋 (現存)に肥後 石工 の名が残るだけである。そのかわり、備前石工の名が親柱や石碑の刻銘(岩戸橋、仙石橋)や文献(「 三重野家文書 」など)に、地元の石工の名とともに出てくる。備前石工は「備前積み」と呼ばれるすぐれた技術を持っていたが、17世紀初めから河川や干拓の大規模な土木工事のため肥後藩にグループで出稼ぎに行っていた。彼らは肥後各地で石垣造りの仕事をしながらアーチの技法を習得した。豊後は彼らの往復路に当たり、肥後街道や府内領などにいくつものアーチ石橋を架けたのであろう。また、豊後の石工の中にも、肥後の石工と交流しアーチ技法を持ち帰った者もある(岡藩の 後藤郷兵衛 や臼杵藩の石工たち)。豊後での石橋の始まりは下述のように文化年間(1804〜18)だが、それはこの人たちの手によるものであろう。
〈県内で最も古い石橋〉
日田市に「 筏場(いかだば)目鏡橋 」がある。橋長9mの小さな橋で親柱も無く路面も荒れているが、文献的には石工久治が高瀬筋庄屋にあてた「(文化3年)八月中に全部仕上げます」という請負証文が見つかっている(「安心院家文書」)。証文の内容に記された石材の数などが一致するので、文化3年(1806)の建造と認定され、県内のアーチ石橋の中では一応最も古いものとされている(現存再建説もある)。同じ文化年間には他に「 古殿橋 」(大野町、文化14年)、「 通(かよい)橋 」(臼杵市、文化10年以後)がある。
〈車橋 めがね橋〉
熊本や長崎では、江戸期に「めがね橋」が一般的呼称であったが、大分県でめがね橋と呼ぶようになったのは一般には(日田天領を除き)明治後半からである。それ以前は「 くるまばし 」(車橋)と呼んでいた。他県では熊本に数例あるだけで、この呼び方は大分(豊前も豊後も)独特のようである。アーチの形が馬車や水車の輪に似ているからだろうが、めがね橋のようなアカ抜けた名称を用いないところに、大分の石橋の有り様を象徴している。つまり小藩分立で財力に乏しい豊前 豊後では、経費を切りつめた結果、装飾的なものは排除し、実質本位に徹して工事を行なったからだといえよう。
〈県の文化財に指定された石橋〉
県内で江戸期に建造された石橋は、推定も含めて約50基である。この中で建造時のまま保全されているのはわずか6基、いずれも県の有形文化財に指定されている。
1 ○ 虹澗(こうじゅん)橋 (三重町) 文政7年(1824) 橋長31.0m
○ オダニの車橋 (庄内町) 嘉永元年(1848) 同12.6m
○ 岩戸橋 (荻町) 嘉永2年 同28.2m
○ 潮観橋 (香々地町) 安政5年(1858) 同10.7m
○ 若宮八幡参道橋 (豊後高田市) 万延元年(1860)
16 同5.0m
1 ○万年橋(大分市) 文久2年(1862) 同22.0m
◎とくしく橋(宇佐市) 延享2年(1745) 同8.0m
「とくしん橋」は石造方杖橋という形式の石橋で、アーチ形式ではないが、石造橋としては本県で最も古い。これについで記録的には「 仙石橋 」(府内藩、宝暦3年、1753)が古い石橋だが現在は姿を留めない(仙石橋は天保6年アーチに修築されたが、宝暦3年の建造時からアーチであったかどうかは確証がない)。
[田村 卓夫]
[い]メニューに戻る