狩猟 ( しゅりょう)

旧石器・縄文時代の主たる生業

 陸上に生息する動物を捕獲する狩猟は、 漁撈(ぎょろう) 食用植物の採取と並んで、旧石器 縄文時代の主要な生業であった。貝塚から数多く出土する シカ や イノシシ の骨は、当時の狩猟が食糧源の確保のためにいかに重要であったかを物語ってくれる。また人類は、他の動物を食料の対象とすることによって、自然界の中で優位に立ち、さらに動物を飼い馴らし、いつでも食料に供することができる牧畜という高度な文化を獲得するに至ったのである。狩猟はその意味で、人類の発展にとって重要なステップということができる。
〈狩猟の分類〉
 大分県が生んだ先駆的な考古学者である 直良信夫 は、猟法により弓による射殺、突刺、陥穽装置、火の使用、雑猟と5つの分類を行っている。弓による射殺は、遠距離にある対象動物を獲得するのに効果的な方法であり、日本でも縄文時代はもちろんのこと弥生時代においても中心的な狩猟法であった。それは矢の先端に付けられた 石鏃(せきぞく) の石器の中での比重の大きさからみても当然のことと推定される。突刺は、 ヤリ モリ ヤス 等の 刺突(しとつ)具によるものである。旧石器時代の 尖頭器(せんとうき) (ポイント)、縄文時代の 石 槍(やり) 、骨製のヤス モリがその主要な道具である。陥穽装置とは落し穴やワナ猟のことであり、落し穴は県内の遺跡でも発見されている。火の使用は、火や煙を嫌う動物の習性を利用する方法、雑猟には棒や 石斧(せきふ) による 撲殺(ぼくさつ)、鳥の巣の探索等がある。
 弓矢の使用は、日本の旧石器時代ではまだ証明されていないが、小型の ナイフ形石器 や 台形石器 の存在は、 鏃(やじり)として使用された可能性がある。ヨーロッパ地方の中石器時代の 直剪鏃(ちょくせんぞく) は日本出土の台形石器そのものであり、機能的にも共通する。縄文時代には各地で木製の弓が発見されており、弥生時代に至っては 銅鐸(どうたく) に弓矢による狩りの様子が描かれている。
 槍の使用は、云うまでもなく旧石器時代から主要な狩猟法である。両面を見事に加工した木の葉形の尖頭器は、典型的な槍先であり、日本の旧石器文化の終末期はその使用の最盛期にあたる。大分県内でも沢山出土する、 三稜(さんりょう)尖頭器 剥片(はくへん)尖頭器 も間違いなく槍先として使用されたものである。三稜尖頭器は断面が三角形に作られており、見かけよりも重量があって折れにくい利点をもつ。剥片尖頭器は、茎部をもち、剥片の鋭い縁辺(エッジ)を有効的に加工したものである。いずれも大型のものは槍先として殺傷力が高かったと思われる。また小型のものは、鏃として使用された可能性もある。
 ワナの使用は考古学的には立証されていないが、落し穴の遺構は大分県内においても多数見つかっている。中津市 黒水遺跡 や山香町 目久保遺跡 等では、方形 長方形の深い穴をもつ落し穴が発見されている。いずれも縄文時代早 前期のものとみられる。底部に小さい穴をもっているが、これなどは 尖(とが)った杭を上向きに差して殺傷効果を高めたものと推定される。
  磨製石斧 は、樹木の伐採が主たる用途と考えられているが捕獲した動物にとどめの利器としても重要であった。貝塚出土のシカ イノシシの頭部に残された大きな致命傷は、石斧によるとどめの一撃であろう。最近では日本各地の旧石器時代の遺跡からも 局部磨製石斧 が出土しているが、狩猟にも使われた用途の広い石器であった。
〈狩猟の対象となった動物〉
 岩手県南部の花泉町は、日本における旧石器時代の代表的なキル サイト(捕獲 解体遺跡)である。ここでは、直径10mの範囲に限って、ナウマン象 オオツノジカ ヘラジカ ハナイズミモリウシ 原牛 ノウサギなどの遺体が集中して発見された。なかでも遺跡名がつけられたハナイズミモリウシは10数体分も出土している。しかもここではハナイズミモリウシの 肋骨(ろっこつ)を加工した鋭利な道具も見つかっている。おそらく仕留めた動物の解体に利用されたものであろう。
 県内でも、大野町 代ノ原 で発見された ナウマンゾウ の骨も、その出土状態からキル サイトの可能性がもたれている。ここでは、石器などの道具は発見されなかったが、不自然な骨の破砕状況から、人為的な力が加えられたのではないかと考えられている。
 旧石器時代の大型獣は、ナウマンゾウをはじめほとんどが絶滅してしまった。それは、気候の変動にもよるが、狩り尽されたというのが最大の要因であったと思われる。縄文時代以降は、列島で生き残った クマ イノシシ シカ カモシカ 等の中型獣が主要な狩猟の対象とされたのである。
 参考文献 直良信夫『古代日本の漁猟生活』
[清水 宗昭]

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