鍾乳洞 ( しょうにゅうどう)
水の芸術、あんがい若いその年齢
県南部に分布する 石灰岩 地域。その古生代の化石を含む石灰岩ははるか南方から プレート の移動によって中生代に流れ着いたと考えられている。その石灰岩が水によってとかし作られた鍾乳洞、我々の祖先が生活に利用した鍾乳洞の生成年代は意外に若い。
〈鍾乳洞とは〉
石灰岩などの中にみられる洞穴をいう。石灰岩中の割れ目や層理面にそって循環する地下水の溶解作用によって生じる。山口県の秋吉洞などが有名。溶解作用により独得の景観を作り、また鍾乳石などの生成物ができる。
〈鍾乳洞の年代の測定〉
どのようにして鍾乳洞の形成年代を知ることができるのであろうか。石灰岩の年代はその含まれる 化石 によって知ることが可能である。鍾乳洞の年代を知るためには直接洞内析出物(たとえば鍾乳石や 石筍(せきじゅん))を用いて年代を測定する方法、割れ目や洞内に 堆積(たいせき)した堆積物や化石を利用して年代を測定する方法が考えられる。
洞内析出物を用いての年代測定は ()法(ウラン系列年代測定法のうち の減衰率あるいは からの成長率を時計として用いる方法)によって測定が行われている。約20万年前までの測定が一般的である。また電子スピン共鳴(ESR) 年代測定 法も鍾乳石や石筍に利用されており、特にヨーロッパを中心としてその利用がさかんである。日本では池谷元伺によって昭和50年(1975)に最初に秋芳洞で測定が行われた。
鍾乳洞にはその割れ目に堆積物がたまり、またその 洞窟(どうくつ)内で生活したり、洞窟に閉じ込められたりした生物(人間を含む)の化石や考古学的遺物が豊富に残されている。したがってこれらの洞窟堆積物は鍾乳洞の年代の推定を可能にするとともに古生物学 人類学 考古学的にも重要なものとなっている。特に日本のような酸性土壌地域では化石や人類の骨格は残りにくく、鍾乳洞はそれらを保存する重要な場所である。さて最近、日本の洞窟堆積物の年代はいろいろな手法を用いて明らかにされつつある。手法は物理 化学的方法( 年代測定、アミノ酸を定量して年代をもとめる方法、骨化石のフッソやウランの含有量を測定して年代をもとめる方法など)による直接に年代をもとめる方法、考古学的遺物( 土器 や 石器 )による編年を利用したり、年代の知られた 火山灰 との上下関係によって年代をもとめる方法、また産出化石によって相対的に年代を求める方法などが用いられている。それらを日本の鍾乳洞や石灰岩地域の割れ目堆積物に適用して年代が推定され整理されている。河村善也が昭和63年にまとめた結果によれば、それらの堆積物はほとんど中期更新世(約70万年前から約13万年前の時代)より後の年代を示し、大きく中期更新世中期、中期更新世後期、後期更新世(約13万年前から約1万年前の時代)前期、後期更新世後期、完新世(約1万年前から現在までの時代)に大きく5分される。中期更新世中期には トウヨウゾウ が伴うことが知られ、また後期更新世には ナウマンゾウ がともなう。いずれにしても鍾乳洞の中に残されている堆積物の示す年代は鍾乳洞を作っている石灰岩の年代に比べて非常に若いということができる。
〈県内の鍾乳洞〉
県南部の 秩父古生層 とよばれる地層中に石灰岩地帯がみられ、鍾乳洞が分布している。 風連鍾乳洞 、 稲積水中鍾乳洞 、 小半鍾乳洞 などである。県内の鍾乳洞の年代はあまり明らかにされていない。
風連鍾乳洞は野津町泊にあり、国によって 天然記念物 の指定を受けている。大正15年(1926)に発見され、新洞と旧洞がある。見学のできる旧洞は延長が500m程度あり、鍾乳石や石筍が発達し、竜宮城 金世界 銀世界となづけられた景観が素晴らしい。稲積水中鍾乳洞は三重町中津留の中津牟礼川上流に位置し、昭和51年に発見 整備された。鍾乳石や石筍と清澄な水をたたえた地底湖や足元を 湧(わ)き流れる清水との組み合せの景観はすばらしい。この鍾乳洞は20万年前の氷河期から発達しはじめ、阿蘇山から約7万年前に噴出した 阿蘇4火砕流 によって入口がふさがれたものとされている。小半鍾乳洞は 本匠(ほんじょう)村小半、 番匠(ばんじょう)川 左岸にみられ、国の天然記念物に指定されている。約700mの距離に鍾乳石、石筍、石柱が発達している。また、本匠村宇津々には石器や人骨が出土した 聖岳(ひじりだけ)洞窟 とよばれる石灰洞窟がある。このほかに国の天然記念物となっている鍾乳洞に佐伯市 狩生(かりゅう)の 狩生鍾乳洞 がある。延長250mの洞窟で、石筍や鍾乳石とともに珍しい動物が生息していることでも知られる。また津久見市の石灰石鉱山では石灰岩の割れ目堆積物から サイ の化石が発見されている。
[竹村 恵二]
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