食糧危機 ( しょくりょうきき)

食べられるものならなんでも食べて

  第二次世界大戦 末期の昭和19年(1944)から敗戦後の26年にかけて食糧が極端に不足した。とくに21年は、都市では米は 食糧配給 の1割強に過ぎず、さつまいも 麦などの雑穀の配給をあわせても1日1人1,000カロリー相当であった。人々は空腹を満たすために苦しんだ。
〈敗戦そして米の大不作〉
 太平洋戦争敗戦直後の昭和20年9月17日、西日本一帯を襲った大型 台風 は、死者 行方不明2,400人という大被害をもたらした。いわゆる「 枕崎(まくらざき)台風 」である。第二次世界大戦で日本の敗色が濃くなりはじめた18年以後、労働力の不足や肥料 資材の不足などから稲の作付面積も収穫量も急速に低下していた。それに加えて枕崎台風の被害である。このため大分県の20年度の稲作は、昭和13年を100とする指数で、作付面積88.5、収穫量45.5という大不作であった。全国的にも、戦前の平年作6,000万石の65%の3,916万石で、明治38年(1905)以来の不作であった。終戦当時の主食配給量 一般成人1日1合1勺(297g)をもとにした国民の所要量は7,500万石、米の不足分は雑穀やさつまいもなどで補うほかはなかった。戦争の被害を受けて、交通事情も悪かった。食糧の遅配 欠配もあった。21年5月19日、皇居前広場で開かれた飯米獲得人民大会(食糧メーデー)には、25万人の人々が参加した。
〈ヤミ米 買出し〉
 戦争末期からは、米 麦 さつまいも じゃがいもなど主食となるものをはじめ、野菜 魚 みそ しょうゆ 砂糖まで配給であった。食糧不足に苦しむ人々は、わずかな土地でも耕して、さつまいも、かぼちゃなどを植えた。ノビルやハコベなど食べられる野草も食卓にのぼった。20年10月11日、別府市はドングリ食糧化の通達を市民に出した。ついで同月30日には、カヤ、アベマキ、ナラ、クヌギ、カシ、トチなどの木の実の採集通達を出している。木の実のアクを抜き、食糧にしようというのである。20年産米の不作についで、21年産麦も不作であった。敗戦によって、海外からの 引揚げ 復員 などで人口も増加した。食糧を求めて、人々は農村へ買い出しに走った。20年11月の 配給米 の 公定価格 は10s 6円、統制外の ヤミ米 の価格は1升(1.5s)120円前後、130倍以上の高値である。生きるために、着物や道具類を持ち出し、食糧にかえた。いわゆる「竹の子生活」である。しかし、苦労して手に入れた食糧も、経済統制違反として検挙、没収されることもあった。大分市では、 木下 郁(かおる) 市長の指揮のもとに、21年5月以降、課長などを各地の農村に派遣し、統制違反すれすれの買い付けを行い、食糧確保に努めている(毎日新聞西部本社『激動二十年 大分県の戦後史』)。
〈米 麦の強制供出〉
 食糧確保のため、米 麦の 供出制度 が本格的に実施されはじめたのは昭和17年度からである。当初、生産量の60%が供出割り当てされたが、年とともに強化され、20年産米は63.5%となった。しかし、20年産米の不作に加え、敗戦による政府権力の弱体化は、供出不振をまねいた。21年1月、 細田 徳寿(とくじゅ) 大分県 知事 は、「言分抜きの協力を望む。」と声明を発表、農家に供出協力を要請、県職員による供出督励班を市町村に派遣した。政府も同年2月、供出完遂のためには強権発動することをふくむ食糧緊急措置令を公布、即日施行に踏みきった。ヤミ米や 隠匿(いんとく)食糧の取り締りも強化した。しかし、20年産米の大分県供出成績は51%強に止まった。21年度麦、21年産米の供出も不振であった。22年4月7日、大分郡 野津原村 に大分県初の強権発動による捜査が行われ、ついで速見郡 立石町 (山香町)にも強権発動が行われた。こうした強権活動や 大分県議会食糧供出完遂促進委員会 市町村の 食糧調整委員会 などの強い督促によって、21年産米の供出は完遂をみた。占領軍大分軍政部の グッドリッチ中佐 が、ジープで督励 威嚇したという「 ジープ供出 」が行われたのもこのころである。それでもなお22年には、別府市で17日、大分市で14日の主食の欠配があった。
〈食糧危機下の農村〉
 供出の強化に、農家も苦しんだ。供出を完納すると自家用の飯米にもこと欠き、芋飯、雑炊をはじめ芋のつる、かぼちゃの茎まで食べた。それでも、食べるものがある農業は、魅力ある職業であった。大分県の農家数は、21年の116,600戸弱から、25年には136,000戸余に増加する。海外からの引揚げ者、敗戦によって職を失った軍関係者が、農業者となったのである。条件の悪い土地へ入植した 開拓農家 も、苦闘した。ヤミで食糧を売り、蓄えた現金が当時は最高の紙幣であった百円札で1尺(33.3p)になったから「 尺祝い 」をしたというのは、1部の悪徳農家だけである。
[佐藤 節]

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