私立学校 ( しりつがっこう)

私学をささえた伝統と特色

 明治32年(1899)8月3日勅令395号をもって、私立学校令が公布され、同日に同令施行規則(省令38号)も制定された。これによって私立学校の設立 閉鎖、校長 教員の欠格条項、設備、授業等の変更命令を定め、地方長官の監督を強化すると同時に、学則等を明らかにした。また、教育と宗教の分離訓令を出して、条約改正後に予想される外国人経営の私立学校の キリスト教 からの影響を抑えようとした。『大分県教育百年史』第1巻によると、本県では同30年代に普通系( 師範学校 入学準備教育)6校、実業系2校、家事裁縫系10校、語学系2校が設立されている。『大分県学事年報』によると、明治30年代になって、女子の小学校への入学者が増えたが、裁縫 家事については、尋常小学校卒業後に私立裁縫学校に進学する者が増加していた。一方、小学校教員が不足していたので、私立学校でも准教員養成を始め、 大分豊州女学校 、 扇城女子学校 、 大分裁縫学校 ( 岩田女学校 )、 柳ヶ浦裁縫女学校 などが資格取得者を出している。男子の私立学校をみると、中津町の 留心学舎 が明治37年に再興され、同40年から准教員養成部を設けている。また、同33年に大分町荷揚町に開校した私立中学 芳園 は当時県下最大で生徒数180人、修業年限3年であった。同校も同41年に准教員養成課程を置いたが、同42年に廃校し、前年大分町 駄原(だのはる)に開設していた 碩田(せきでん)学館 に生徒を引き継いだ。同42年荷揚町の 芳園跡に移転した碩田学館は校名を 南豊学館 と改め、大正8年まで続いた。師範学校同窓会が大分町王子町に師範学校入学志願者を対象とした私立 大分予習学館 を設立したのは、同43年で、修業年限1年の予備校であった。同30年から同33年にかけて、臼杵の 沙弥(しゃみ)学校 、 稙田(わさだ)(大分市)の 就将館 、中津の 杜開学寮 および 北豊仏教中学 、 安心院(あじむ)の 宝光学舎 、別保(大分市鶴崎)の 開明学校 など仏教関係の私立学校が開かれている。なかでも明治20年代から戦後の教育改革まで存続した私立 習説校 は有名である。同24年田原村(大田村)の長福寺住職となった 田口昌龍 の創設、同29年に私立学校として認可され、同36年に校名を私立中学習説校と改め、同43年には准教員養成科を併設した。同様な准教員養成学校に、大正2年開校した安心院村(安心院町)の 騰宮学館 があった。その他南庄内(庄内町)の 菅原学寮 、大分町の 大分英語学校 、 高等簿記学校 、富来町(国東町)の 文渓校 などがこの時期に創設されている。私立学校の興亡が激しかったので、政府は同44年7月に私立学校令を改正して、従来の届出制を知事の認可制に改め、経営を安定させるために財団法人を設立するように改正した。
〈女学校 裁縫女学校の普及〉
 明治20年代の後半に小学校で裁縫科が設けられるようになると、裁縫の専科教員をめざして乙種准教員検定を受験する人が増えた。先述の扇城女学校 岩田女学校 柳ヶ浦裁縫女学校のほか、多数の私立裁縫女学校が設立された。 中津裁縫女学校 、四日市町の 外園裁縫学校 、 長洲(ながす)町の 日時元裁縫女学校 、同町の 貴堂裁縫女学校 、安心院村(同町)の 首藤裁縫女学校 、 駅館(やっかん)村(宇佐市)の 神力裁縫女学校 、 国東裁縫女学校 、 安岐(あき)裁縫女学校 、杵築町(同市)の 速見裁縫伝習所 、御越町(別府市)の 亀川裁縫学校 、 戸次(へつぎ)村(大分市)の 戸次裁縫女学校 、佐賀村(大分市)の 香泉裁縫女学校 、大分町の 豊州女学校 、上津村( 本耶馬渓(ほんやばけい)町)の 三余女学校 などである。大正に入って 竹田女学校 、 杵築和洋裁縫女学校 、 宇佐女子蚕業学校 、 四日市裁縫女学校 、 三重裁縫女学校 などが創設され、既設校と肩を並べた。昭和初期に新設された12校のうち10校は裁縫学校であったが、不況下にもかかわらず女子の進学率が向上している。 扇城高等女学校 、 扇城高等家政女学校 、 岩田実科高等女学校 、 柳ヶ浦女子高等技芸学校 、 昭和女学院 (現 別府大学附属高等学校 )、 竹田女学校 、 日田家政女学校 、 玉沢実科高等女学校 (中津市)などは定員が多く、昭和19年7月には、県立15校と並んで、大分県知事より私立8校が 看護婦学校 に指定されている。
 私学の特色は経営者即教師にあったから、創設者の教育方針が校風と伝統を形成していたが、 終戦 時の混乱を堪えて存続し、昭和23年の学制改革を迎えた私立中等学校は14校であった。このうちから同年5月に新制高等学校として発足したのは、岩田、大分市城南、大分女子、扇城、昭和女子、柳ヶ浦の6高等学校のみで、他は廃校したり各種学校となっている。同24年12月に私立学校法が制定され、私学行政の基本が定められた。同25年から生徒の急増期に、同27年発足の 大分高校 、同28年の 日田商業 、同29年の 明星高校 桜ヶ丘高校 大分平松高校 、同30年 玉沢高校 佐伯産業高校 などが開校した。その後同35年 別府女子高校 、同37年 竹田女子高校 、同41年に 大分電波高校 が設立され、今日に至っている。
 参考文献 大分県教育委員会『大分県教育百年史』第1 2巻
[小玉 洋美]

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