新産業都市大分 ( しんさんぎょうとしおおいた)
農工併進と新産都の建設
新産業都市は、昭和37年(1962)制定の新産業都市建設促進法により、地域の工業開発拠点に指定された地区をいう。そのねらいは、地方の工業開発をはかることで、大都市への産業 人口の集中を緩和し、地域較差を是正することにあった。
〈新産都建設の経過〉
大分地区新産都は、大分 別府 杵築市と日出 野津原 挾間 庄内 湯布院 佐賀関 犬飼町の3市7町を対象に、39年1月の指定。「新産都の優等生」といわれる 進捗(しんちょく)状況であった。大分市の臨海部に工業地帯を造成する構想は、戦前からあったが、30年代に入って具体化する。32年8月、 大分 鶴崎臨海工業地帯 造成計画が決定され、11月には 兵庫パルプ鶴崎工場 ( 鶴崎パルプ )が操業に入った。34年、2期目を迎えた県 知事 木下 郁(かおる) は、「 農工併進 」を旗印に、工業化をすすめる。33年9月、1日に12.5万t取水の臨海工業用水道の建設に着工。34年10月には、 大野川 左岸から 大分川 左岸まで1,066万u(1〜5号地)を埋立てる 第一期計画 が起工された。35年から39年にかけて、 九州石油 、 富士製鉄 ( 新日本製鉄 )の進出が決まり、埋立て工事も進捗した。39年には、九州で初めての製油所である九州石油が、日産4万バーレルで操業を始めた。38年2月、大分県は大分 鶴崎工業地帯を中核に、その周辺部25q圏を大分地区新産都の指定地域に申請、39年1月、正式指定をうけた。同年12月、新産都建設基本計画が国の承認をうけ、新産都づくりが始まる。1期計画で進出した企業は、1号地に九州石油 九州電力火力発電所 、2号地に 石油化学コンビナ−ト 、3 4号地に富士製鉄、5号地は 中小企業用地 で、肥料 燃料 化学など約80社、後背地に 東京芝浦電気 東陶機器 などである。石油化学コンビナ−トは、八幡(新日本製鉄)化学と 昭和電工グル−プ 9社で建設、44年4月からエチレンの生産を始めた。富士製鉄の進出は遅れたが、44年12月着工、47年4月第1号高炉の火入が行われた。この間の45年3月、富士製鉄は 八幡製鉄 と合併、新日本製鉄となる。
〈二期計画〉
つづいて第二期計画が始まる。鉄鋼 石油 石油化学などの基幹産業に対して、造船 造機 石油化学などの複合コンビナ−トの形成と物流基地の整備をめざした。大野川右岸から佐賀関町にいたる約20qに1,046ha(6〜8号地)の用地を造成するもので、48年の 大在公共 埠頭(ふとう) の着工をもってスタ−トとした。2期計画が発表されると、住民の反対運動が起こり、公害防止 環境保全などの問題が取り上げられた。また、48年の 石油ショック 以後、わが国の経済は 低成長時代 に入り、2期計画の進渉度は遅かった。48年5月、県知事 立木 勝(まさる) が、 8号地 の分離中断を発表するなど、計画の変更、見直しが行われ、7号地は48年11月、6号地は49年6月からの造成となった。7号地は54年に完成、A地区が55年3月、 三井グル−プ に引き渡され、翌年 三井造船大分事業所 が操業を始めた。B地区は中小企業用の 日吉原工業団地 として、52年12月より分譲を始めた。臨海工業地内には、このほか、大分(下郡)工業団地 志村工業団地がある。大分工業団地は、木材 家具 金属 機械 印刷など約70社が操業中。志村工業団地は54年から分譲を始めている。6号地の造成は遅れたが、B地区が57年9月、昭和電工 大分油化興産 に、A地区が九州石油 九州電力に引き渡された。また、7号地B地区には、56年10月、 丸善石油 の進出が決定している。
〈新産都建設の効果〉
新産都の建設で、35年から55年までの20年間、区域内の工業出荷額は420億円から1兆5,968億円に急増、人口も45万人から60万人へと増加した。なかでも大分市の人口増加は著しい。産業別就業人口も第一次産業が激減、第二次、第三次産業が急増して、高度化した。また、分配県民所得も1,164億円から1兆6,864億円へと、名目で15倍もの伸びである。大分市は税収が増え、財源超過団体となった。交通網や住宅の整備も進んだ。 日豊線 が電化 複線化され、 西大分泊地 (旧 大分港 ) ホ−バ−基地 乙津泊地 鶴崎泊地 日吉原泊地 などが整備された。61年4月には大在公共埠頭に3万t級の外留バ−スも完成した。道路の拡幅や新設も進み、臨海工業地に沿う臨海産業道路も開通した。後背地の丘陵には、明野 城南 敷戸(しきど) 大空 富士見が丘 ふじが丘 寒田(そうだ)などの大型 住宅団地 の建設が進み、大型店 外食産業 銀行 なども進出した。しかし、新産都の代償として失ったものもある。なかでも、日吉原などの 海水浴場 や ノリ の養殖場などは住民の憩い、生活の場であった。経済の安定成長、円高と構造不況、企業の海外進出など、重化学工業を中心とする大分新産都をとりまく情勢にはきびしいものがある。
参考文献 『大分市史』下巻
[河野 昭夫]
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