神像 ( しんぞう)

神仏習合と八幡神像

 わが国の神道は、山や池、巨石などの自然物ないしは鏡や剣などの宝器類をそのまま神の 依代(よりしろ)とし、本来偶像礼拝の習慣をもたなかった。しかし、仏教との交渉の結果、仏像と同じように礼拝の対象としての神像を製作するようになった。神像なるものがいつごろから奉祀されるようになったかは不明な点が多いが、その先駆的役割を担ったのは、他に先がけていち早く 神仏習合 を成し遂げた 八幡神 であった。奈良時代における 宇佐八幡 神宮寺(じんぐうじ) の成立から、東大寺手向山八幡宮の 勧請(かんじょう)、八幡神の菩薩号の付与へ至る間の事情は、まさに八幡神における神仏習合の過程を物語るものである。
〈八幡神像の成立〉
 『東宝記』第3巻の東寺鎮守八幡宮の条に「去る弘仁年中(810〜824)、大師(空海)勅を奉り重ねてこれを勧請す、三所御体法躰並びに女体、俗躰」とあるのが八幡神像の初見である。ついで、貞観2年(860)に勧請された 石清水八幡宮 では、鎌倉初期の『古事談』によれば、延喜年間(901〜923)に敦実親王が「大菩薩御影二体、一体僧形、一体俗形」を造立奉祀したことがみえている。平安初期神像の数少ない遺品である奈良薬師寺の八幡三神像と京都東寺御影堂の八幡三神像は、こうした成立期の八幡神像の姿を伝えるものとして貴重である。このうち、薬師寺の三神像は、同寺別当栄紹が寛平年中(889〜898)に勧請した鎮守 休岡(やすみがおか)八幡宮に奉祀したものである。僧形八幡神を中心に二女神を従える形式は、その後の八幡神像の定型を示すものである。特に主神の僧形八幡神は、肉付きのよい量感に富んだ像容を示し、切込みの深い 飜波(ほんぱ)式の 衣文(えもん)には平安初期の仏像彫刻に相通ずるものがある。その僧形という形式とともに、八幡神像が仏教文化との深い関わりの中で成立したことを示している。平安後期、11 12世紀になると神像の作例は急激に多くなり、また地方にあっても八幡神像を中心にさまざまな神々の神像が造営されるようになり、神像彫刻の黄金時代を迎える。大分県内にあっても、おそらく各地の八幡宮を中心にさかんに神像の造立が行われたと思われるが、平安時代以前の遺品としては 宇佐神宮若宮神像 5躰、 奈多(なだ)八幡宮八幡三神像 、同若宮神像4躰、 柞原(ゆすはら)八幡宮神像 3躰が知られるのみである。
〈 宇佐若宮神像 〉
 現在宇佐神宮内 若宮社 に安置される神像5躰は、髪を頭頂で結い背面に長く垂らした女神 大(おお) 鷦鷯(ささぎ) 命(みこと)坐像を主神として 胄(かぶと)を頂いて坐わる 大葉枝皇子(おおばえのみこ)像、片膝を立てて坐わる 鳥皇女(めとりのみこ)像、頭に 頭巾(ずきん)被って坐る 小葉枝皇子(こばえのみこ)像、胄を頂き長 沓(くつ)をはいて 半跏(はんが)する 隼総別皇子(はやぶさわけのみこ)像の2女神3男神からなる。いずれも実に素朴でおだやかな彫り口を示し、女神の丸顔でやさしい面立ちや簡素な衣文、また男神の 忿怒(ふんぬ)の中にも愛らしさのみえる面相など地方における平安後期一木彫の仏像と共通する温和な造形を示している。なお、この五神像については、『 八幡宇佐宮御託宣集 』所収の文治2年(1186)の年紀のある「若宮御形像五躰御事」によれば、仁寿2年(825)若宮が建立された当時の神官であった 大神蘊麻呂(おおがのあつまろ) が造顕したとあるものに該当するとみられる。しかし、作風の上では12世紀まで下るものであり、おそらく当初の像が失われた後に新たに造立されたものであろう。
〈 奈多宮八幡三神像 若宮神像 〉
 僧形の男神坐像(伝 応神(おうじん)天皇 )を中心に、宝冠を 戴(いただ)いた女神坐像(伝 神功(じんぐう)皇后 )、髪を結い上げた女神坐像(伝 比売(ひめ)大神)からなる。僧形像の伏目がちで切れ長の目に長い 耳朶(じだ)、豊かな頬を表わす 相貌(そうぼう)とは、顎下に 三道(さんどう)を刻み、広く開けた胸に 膨(ふく)らみの線を表わすのは神像というより仏像の表現に近いものがあり、11世紀から12世紀ころの造立であろう。宝冠の女神像は、そのうつ向きかげんの円満な面立ちには僧形像と同種の趣きがあり、おそらく同時の製作とみられる。比売神と伝える女神像は、頭髪を一髪に低く結い、他の2躰とは異なり面相も小づくりで法量も一まわり小さく、やや遅れての造立であろう。奈多宮には、上記八幡三神像以外にその境内末社である若宮八幡社の神像6躰を伝えている。そのうち小女神像2躰を除いた俗形の男神坐像、俗形の女神坐像および菩薩形2躰は、各々若 比古(ひこ) 若 比売(ひめ) 宇礼(うれ) 久礼(くれ)の4神にあてられている。いずれも、上記3神よりやや下がる12世紀後半ころの造立であろう。
〈柞原八幡宮神像〉
 現存する3躰のうち宝冠をつけた菩薩形坐像、総髪の女神坐像1躰は両者同士の円満相を示し、12世紀後半の造立であろう。祖師像と伝える頭に頭巾を被り、諧謔的な相貌に 肋骨(ろっこつ)が 露(あら)わな瘠身の坐像は、これがいかなる神躰を表わすかは明らかではないが、個性味あふれた珍しい作例である。
[渡辺 文雄]

[し]メニューに戻る