進駐軍 ( しんちゅうぐん)
戦後の象徴、占領軍
〈占領軍の進駐〉
昭和20年(1945)10月1日、占領軍受入れの窓口として、大分県内政部に外務課が新設された。10月4日、第5海兵師団指揮下の軍政部先遺隊として、 ホーマ エル ベーカー大尉 ら4人が佐世保から到着、 中村 元治(もとはる) 知事 らと進駐などに関する 終戦 連絡事務を打ち合わせた。同日県は「大分県進駐軍受入本部規程」を定め、協力機関として終戦連絡委員会を設置した。10月13日、第5海兵師団第5戦車大隊300名が コリンズ中佐 指揮の下に、佐世保から列車で大分へ進駐、旧 大分陸軍少年飛行兵学校 の兵舎に入った。始めて本格的な 占領軍 を迎える県民への心得として「礼儀と誠意とを基礎として、どこまでも友好裡にあらねばならない」と注意している(『 大分合同新聞 』10月15日号)。10月18日には占領軍から、外務課を通じて、大分 別府市民に対する交通道徳の厳守と、占領軍の自動車が停車すると女子や子供が取り巻き見物するので止めてもらいたいと要請されるなど、多少のトラブルも見られた(『合同新聞』10月20日号)。11月5日、占領軍は第32歩兵師団所属の砲兵部隊(指揮官 メルビン エル マクレアリ大佐 )に代わった。中津地区には小倉の129野砲部隊より570名が、元神戸製鋼男子寮の宿舎に12月10日に進駐、高田町(豊後高田市)、国東町、竹田町(竹田市)、玖珠町にも年末までに大分占領軍より15名前後が分駐した。21年1月20日から、大分軍政部は第92軍政本部と本部中隊大分枝隊(実戦部隊)に分離、軍政部は7月1日から大分軍政部隊と呼ばれた。実戦部隊も3月に第2海兵師団第2連隊、5月に第24歩兵師団第19歩兵連隊と交替した(『戦後県政の回顧』)。
〈キャンプ チッカマウガ〉
大分の兵舎は施設も老朽化し、衛生面でも不備であったため、別府市野口原の 別府公園 を中心とする一帯に新しい兵舎と家族住宅を建設することになり、県内外の業者から成る占領軍建設本部が組織され、21年5月に着工した。工事は占領軍技術室の監督下、県内の規模の大きい業者を責任者とする5班と、県外業者を主とする1班で編成、建築 土木のそれぞれの分野を担当、一時は労務者の不足から一般市民にも割り当てられたが、11月末には完成した。新築なった兵舎は「 キャンプ チッカマウガ 」と命名され、21年12月15日、大分より19歩兵連隊が移住した(佐賀忠男『別府と占領軍』昭和56年)。
〈 武器接収 〉
県は連合軍の指令に基づき、県下一般民間における一切の武器を引き渡すことになり、10月10日までに各警察署毎に現物を提出させた。また12月29日付けで県知事から占領軍司令官あてに「本県ニ於ケル元陸海軍ノ所持セル兵器弾薬ハ 曩(さき)ニ報告セル計画ニ基キ処理致居リ候処」と一部を除いて終了したこたが報告されている(大分県立大分図書館蔵『占領軍』大分県外務課)。しかし隠匿武器や終戦時の軍需物資の不法所持が発見される例も多く、21年1月12日には県警察部長より各所長あてに武器取締りの再検討と徹底が指示されている(『大分県警察史』昭和38年)。
〈日米合同協議会と駐留軍の撤退〉
25年7月8日、定員7万5千人の国家予備隊の設置を指示するマッカーサー書簡が日本政府へ交付され、8月10日、警察予備隊令が公布され、8月13日から隊員募集が始まった。大分県も13日から募集を開始し、17日から試験を開始、本県採用予定1,510名に対し、1万1,000名近くが応募した(『合同新聞』25年8月18日号)。
27年4月26日、直入郡久住、 都野(みやこの)、 白丹(しらに)3町村(いずれも久住町)にまたがる牧野1,700町歩(1,686ha)が、米軍演習地に接収される予定との知らせを受けた県や県地元町村は、用地対策接収阻止対策委員会を設置して、接収を阻止した(『合同新聞』27年6月19日号)。旧大分海軍航空隊跡地で行われた別府駐屯の空挺部隊の落下傘降下演習の際地元とのトラブルも起こり、サンフランシスコ平和条約発効後の駐留米軍との関係にぎくしゃくしたものもでてきた。そのような中で、187空挺部隊指令官ウエストモーランド准将の提案で「 日米合同協議会 」が、27年12月1日に開かれ、日本側からは 細田 徳寿(とくじゅ) 知事、 岩崎 貢(みつぐ) 県議会議長 らが出席、軍用品の売買監視、ピストルの不法所持、街娼問題などがとりあげられた。以後3か月毎に 別府駐屯地 と 県庁 を会場に31年6月11日まで14回開かれ、県と米軍側との友好的関係維持の努力が続けられた(大分県立大分図書館蔵『大分県日米協議会議事録綴』大分県外務課)。31年7月6日と12日の2次にわたって第508空挺部隊は米国へ引揚げた。32年3月25日星条旗は降され、キャンプ引き渡しの調印が行われた。跡地には同年12月、久留米第3特科軍1,300名が移駐、16日に 陸上自衛隊別府駐屯地 の開隊式が挙行された。
[吉田 豊治]
[し]メニューに戻る