縄文人 ( じょうもんじん)

大分の縄文人はカニの横長顔

 雲南省元謀県上那蚌村九竜口から昭和40年(1965)2本の歯がみつかった。古地磁気法による測定で170万年前の人の歯であることがわかった。この歯は門歯で内側はシャベルのように反っており、北京原人も同様であることがわかっていた(昭和12年、北京原人を調査したワイデンライヒは門歯の内反りを指摘していた)。この門歯の内反りを中国では「 形舌窩(ざんがたぜつか)」(シャベル状に舌側に反る)という名をあて、現代中国人から北京原人までの歯形の特徴としている。現代日本人もまた同じ歯形をしており、北京原人が現代東アジアに住む人の共通の祖先ということになるのかもしれない。大分県南海部郡 本庄(ほんじょう)村 聖嶽(ひじりだけ)洞穴 から発見された頭の骨が2万年前の北京原人洞の上洞人(新人)とよく似た形質をもっているということは注目すべきである。
〈日本人の祖先は中国の柳江人か〉
 縄文時代人のルーツを探ると中国南部、広西壮族自治区の柳江人と縄文時代人の関係が強いということを人類学者はみている。国立科学博物館人類部、山口敏は、柳江人と縄文人(岡山県津雲貝塚人 愛知県 吉胡(よしご)貝塚人)との関係を次のように述べている。「顔長、 頬骨(ほおぼね)の形、 眼窩(がんか)間の高さと幅、鼻の高さと幅、口蓋の長さと幅の関係などが一致している」と述べ、四脚骨や 椎骨(ついこつ)などからみて体全体が小柄であることが知られているとしている。更にこの柳江人のもつ後期旧石器人の特徴と類似している縄文人は、本格的 農耕文化 をもたなかった縄文人の生活環境によるものと考えられるとしている。日本人特に縄文人のルーツは中国南部の柳江人に結ぶのが人類学的に納得がいくという結論になった。
 縄文人の骨が数多く発見された遺跡は後期人で、岡山県津雲貝塚や愛知県吉胡貝塚などである。この後期人と九州の後期人の比較をしてみると、明らかに特徴がでている。まず頭であるが、本州の縄文人は大頭で頭長幅指数(頭の長さと幅の関係)から中頭形、これに対して西北九州は長頭形、東九州は短頭形となる。つまり、西北九州の縄文人の頭は長く、東九州では円い。そして本州の縄文人の頭はその中間となるのである。
〈縄文人の顔と体〉
 縄文人の顔は一般に眉上弓(眉毛の位置の骨の盛り上がり)が隆起しており、鼻根(両眼間、鼻の付け根)のくぼみが目立ち、鼻は高い。歯は 鉗子咬合(かんしきゅうごう)(上下の歯の 咬(か)み合わせは門歯に至るまで 鉗子(かんし)のように合う形)などが目立つ。示数を参考としてみると、西北九州人は 高顔(こうがん)(顔が長い)であるのに対して東九州人は 低顔(ていがん)(丸いが横長)である。東九州から出土する 土偶(どぐう) (土人形)の顔は、横長で、鼻が上を向いているが、これは人類学的形質でみる低顔、鼻根部のくぼみと鼻の高さと一致していて興味深い。
 足の骨は一般に扁平性が強く、 柱状(ちゅうじょう)形成( 大腿骨(だいたいこつ)の裏面が柱状に隆起すること)がみとめられる。示数からみると、西北九州人は長さと周径がともに大きく、東九州では扁平性、柱状形成が大きい。
 身長は大腿骨の最大長で計算する方法(ピアソンの法則)があり、それによって縄文後期人の身長を測定すると、西北九州縄文人は男性161.15p、女性146.95pであるのに対して東九州縄文人は男性157.63p、女性144.03pで、東九州人の方が低く、本州の縄文人に近い。
〈大分の縄文人はカニの横長顔〉
 大分県内の遺跡から発掘された縄文人は 枌洞穴(へぎどうけつ) (本耶馬渓町)64体、 横尾貝塚 (大分市)17体、 二日市洞穴 (玖珠町)9体、 大恩寺稲荷(だいおんじいなり)洞穴 (朝地町)9体などその他合計して123体を数える。
 枌洞穴では総計6体が出土し、縄文早期から後期人骨まで層ごとに研究ができた。早期人(8,000年前)は身長が男性で158p、女性で149.67pを数え、眉上弓が発達して 旧石器人 のような顔をしている。頭は長さも、幅も大きく、中頭型である。前期人は男性身長が160p平均で高く、頬骨の張りが強く、カニのように横長い顔をし、頭は中頭型である。後期人は男性身長が158.01p、女性146pで、顔はやや横幅が広い。鼻は高くて広く、頭は短頭で丸い。
 枌洞穴縄文人は年代が新しくなるにつれて短頭化して丸くなり、顔は横幅が一般に広いが、古くなるほどカニ顔となる。縄文時代の身長は全国平均で男性が158pであるから、枌洞穴前期人は平均で2p以上も高くなる。全体としては示数からみて古い時代ほど原始性が強くなる傾向をしめしている。
 宇佐平野では豊後高田市に近い 立石(たてし)貝塚 では頭は長頭形、身長は男性で158.01pであるが特に高頭で、突き出した 顎骨(かっこつ)から反っ歯の可能性が強い。これに対して最寄りの 石原貝塚 では女性150.45pで背が低く、地域の同一性はみられない。縄文時代においては極度の近親婚がおこなわれていたのかも知れない。
 参考文献 池田次郎ほか『骨から見た日本人の起源』(『季刊人類学』12巻1号)
[賀川 光夫]

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