糸口遺跡 ( いとぐちいせき)

族長たちの墓

 糸口遺跡は、宇佐市大字猿渡字糸口にあり、市域西方を流れる 伊呂波(いろは)川 右岸の糸口山と通称される台地上に立地する。遺跡は、比高20mほどのこの台地の端部に近く、南に開けた緩い傾斜面を占めている。伊呂波川の流域では、これまで、古墳時代後期の 横穴式石室墳 や 横穴墓群 以外、さして顕著な古墳時代の遺跡が知られていなかったが、糸口遺跡の発見によって、この流域を拠点とする地域集団の形成過程や歴史的な展開の足跡が 窺(うかが)えるようになった。糸口遺跡は、昭和60年(1985)の宇佐市教育委員会による調査の結果、5世紀の前半から後半にかけての墳墓遺跡であり、墳墓の構成等注目すべき内容をもつものであることが判明した。
〈糸口遺跡の墳墓の構成〉
 糸口遺跡で検出された墳墓の遺構は、 方形周溝墓 5基、 石棺墓(せっかんぼ) 4基、 土壙(どこう)墓 12基である。方形周溝墓は、一辺長7m前後のもの(T W X号周溝墓)、10mほどのもの(V号周溝墓)、17mに達する大型のもの(U号周溝墓)など規模は多様である。T号およびU号は独立的に営まれ、V〜X号は隣接して一つのグループをなしているが、周溝を共有するものはない。このような傾向は、 駅館(やっかん)川 流域、 川部 高森古墳群 中の方形周溝墓の中では、比較的新しい時期に属する車坂地区などでみられるものであり、 赤塚周溝墓群 や 角房周溝墓群 のような4世紀代に中心を置く地区で見られる1グループ5 6基程度の周溝墓が溝を共有しながら連接して造られるあり方とは様相を異にしている。石棺墓(1 2 5 7号墓)や土壙墓(3 4 6 8〜16号墓)は、周溝墓とほとんど重なり合うことなく、その周辺に点々と配置されるが、周溝墓を含めて埋葬主体部が概ね東西方向に向いているのが特徴的である。
〈副葬品の示すもの〉
 糸口遺跡の墳墓群で特徴的なことの一つは副葬品のあり方である。周溝を持たない石棺墓や土壙墓の副葬品が、周溝墓のそれと比較して必ずしも貧弱とはいえず、かなり豊富な 鉄器 を伴うものが多いのである。周溝墓のうち、比較的豊富な内容を持つW号墓では、 蕨手(わらびて)状の 刀子(とうす) 1、 勾玉(まがたま) 2、 管玉(くだたま) 17、ガラス玉等が副葬され、X号墓には 鉄鏃(てつぞく) 4、 (やりがんな) 3、 鉄刀 1、不明鉄器2を伴っている。これに対し、5号石棺は、 鏃(やじり) 10、 剣 1、 鋤(すき)先 1、 腕輪 1、 鎌(かま) 1、刀子3をもち、7号石棺墓には鏃5、剣1、鎌1、 1、刀子1を副葬する。副葬品のこうした内容は、川部 高森古墳群の方形周溝墓に比べて優るとも劣らないものといえるだろう。糸口遺跡の墳墓に見られるこのような特徴は、この墳墓群の被葬者に、かなり有力な地域集団の族長レベルの階層を含んでいることを窺わせるものである。方形周溝墓が族長クラスの墓だとすれば、石棺墓や土壙墓は、その一族に連なる人々の墓とでもいうべきであろうか。しかも、この墳墓を形成した一統は、後、更に発展していった形跡をもっている。糸口遺跡からわずか200mあまりを隔てた同じ台地上に位置する 久々姥(くぐば)古墳 の存在がそれである。
〈久々姥古墳への発展〉
 久々姥古墳は、糸口遺跡の南方に位置する2基の円墳である。久々姥1号墳は復原径約24mで、西に開口する複室の 横穴式石室 を主体部とする。玄室は長さ3m、幅2m、高さ2.2mで、奥壁 両側壁とも巨大な一枚石を下部に据え、上部に2〜3段の河原石を積んで半ドーム状の構造としている。前室は長さ1.6m、幅1.3mのやや胴の張った長方形平面をもつ。 羨道(せんどう)は幅1m、長さは現況で5mが確認される。前室で 鉄刀 鍔(つば) 、 銅 環(かん) が採集されたという。羨道を含めて10mにも及ぶ長大な石室は、宇佐地方唯一の 複式石室 として極めて重要である。2号墳は、径15mの円墳で、両袖型の横穴式石室をもっている。長さ2.5m、幅2.1m、高さ2mの玄室に、長さ2.5m、幅0.85m、高さ1mの羨道をつける。玄室の各壁面の腰石に2枚の平石を使用し、中央部がふくらむように据えているため、 楕円(だえん)状の長方形平面を呈する。1号墳、2号墳ともに6世紀代後半の築造年代が推定されている。
 糸口遺跡と久々姥古墳との間には、現在のところ若干の年代的な空白がある。これは、糸口遺跡の調査が限られた範囲で行われたことによるものと思われ、周辺地区の調査が進めば、両者の空白を埋める遺構の検出が十分期待できるだろう。いずれにせよ、その位置関係からみて、両者が系譜的に 継(つな)がると考えるのはごく自然なみかたというべきであり、糸口遺跡に葬られた一族は、小地域集団の族長から、伊呂波川流域をその勢力基盤として、堂々たる横穴式石室を築造できるほどの小首長へと発展したのである。
[甲斐 忠彦]

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