寺社建築 ( じしゃけんちく)
宮大工の芸術作品の系譜
豊前地方は仏教文化の一先進地で7世紀終わりには初期寺院が建立され、8世紀には 宇佐神宮 が登場するが、この時期の地上の建築物は遺存していない。
〈九州唯一の古代堂宇〉
平安期のいつころからか 山岳密教 、 修験(しゅげん)道 、 八幡信仰 とのかかわりで、 国東半島 に 神仏習合 の 六郷満山 寺院が成立して行くが、そのころの唯一の建築遺構は豊後高田市の 富貴寺(ふきじ)大堂 ( 国宝 )。仁安3年(1168)以前の建立で、正面3 間(ま)、側面4間の総 素木(しらき)造の簡素な建物は、九州に現存する最古唯一の平安建築( 阿弥陀(あみだ)堂)。単層の 宝形造(ほうぎょうづくり)で、本 瓦葺(かわらぶき)の丸瓦に 円錐(えんすい)台半割り形の瓦を伏せた珍しい 行基(ぎょうき)葺。外廻りの角柱はすべて 角(かど)を大きく削り落した 大面取(おおめんとり)。内部は円柱の四天柱に囲まれた 内陣(ないじん)に仏像(国重文)を安置。内陣は堂中央より後方に寄せてつくる。この手法はわが国最古の例。その内陣背面の 来迎壁(らいごうへき)や四天柱など堂内に描かれた 壁画 (国重文)は、法隆寺金堂炎上後の現在、極めて貴重な存在。一方、平安仏教の系譜の建築には、急峻な岩壁を利用して建造した 懸造(かけづくり) の珍しい堂宇がある。院内町の 龍岩寺(りゅうがんじ) は当初は 天台宗 というが、江戸中期から 曹洞宗(そうとうしゅう) 永平寺末。 奥院礼堂 (国重文)は弘安9年(1286)の建立。年代確実な鎌倉建築の少ない九州では貴重な存在。懸造で屋根は片流れの板葺、正面3間、側面2間の簡素な平面で、軽快な趣きの中に気品のある建物。同じく平安仏教系では朝地町の 神角寺(じんかくじ)本堂 (国重文)がある。真言宗の古寺で、山頂近くにある正面3間、側面3間の三間堂の本堂は応安2年(1369)の建立。単層、宝形造、 檜皮(ひわだ)葺の簡素なもの。富貴寺と違って本堂中央に方1間の内陣があり、各所に和様 唐様(からよう)を自由に取り扱うなど室町期の特色ある建物である。
〈県内唯一の中世の神社建築〉
平安中期、豊後の地に 大宰府 安楽寺領荘園 が成立、古い天神信仰も吸収して 天満宮 が成立して行くが、この系譜には室町期のものであるが、長享2年(1488)建立の前津江村の 大野 老松(おいまつ)天満社旧本殿 (国重文)がある。県下にもっとも多い方3間の 三間社流造(さんげんしゃながれづくり)、簡潔 端正で比較的木割りの太い、正統的様式のもの。 庇(ひさし)( 向拝(こうはい))に高床を張って前室的な扱いとするが、これに細部の手法も似ているのは福岡県の岡浪八幡宮(鎌倉)、山口県の八坂神社(永正17年)、平清水八幡宮(室町)、今八幡宮(文亀3年)の各本殿であるという。
〈鎌倉新仏教にみる古建築〉
鎌倉末期から 禅宗 が伝来。 大友 貞親(さだちか) は徳治3年(1308) 府内 に 臨済(りんざい)宗 の 万寿寺(まんじゅじ) を、 大蔵 永貞(ながさだ) は元僧 明極楚俊(みんきそしゅん) を招いて康永2年(1343)臨済宗の 岳林寺(がくりんじ) を、 田原 氏能(うじよし) は永和元年(1375) 無著妙融(むちゃくみょうゆう) によって曹洞宗の 泉福寺(せんぷくじ) を開いた。国東町の 泉福寺開山堂 (国重文)は応永元年(1394)に無著の一周忌に建立した 開山御影堂(かいざんみえいどう) 。方3間、単層、切妻造、 柿葺(こけらぶき)、唐様の堂宇。斜め前方にある大永4年(1524)建立の仏殿(県有文)は元禄年間に大修理。方3間、単層、 入母屋(いりもや)造の唐様仏殿で、もとは 茅(かや)葺か。浄土系では宇佐市の 善光寺 が宝永3年(1706) 浄土宗 に、以前は豊前の時宗5か寺の本山。その本堂(国重文)は建長2年(1250)の建立。正面5間、側面7間、単層、寄棟造の本瓦葺で、堂々たる姿に鎌倉初期の様式を留めている。正面の 唐破風(からはふ)造の向拝(庇)は江戸期の後補。一方、神社では豊前の 守護 職(しき) になった 大内氏 と後に豊前に封ぜられた 細川氏 が、宇佐神宮などを再興したことは有名。中津市の 薦(こも)神社神門 (国重文)は元和7年(1621) 細川 忠興(ただおき) が建立した正面3間、入母屋造の二重門。平面の規模に比べて丈が高く、初重に 裳階(もこし)をつけて釣合を取るなど、すぐれた県内最古の二重門。
〈小藩分立期の宮大工の芸術〉
竹田市の 願成院本堂 ( 愛染堂(あいぜんどう) 国重文)は藩主 中川 久盛(ひさもり) が寛永12年(1635)に建立。単層、宝形造、本瓦葺の三間堂(方3間)、外形は唐様、内部は極彩色の壁画で荘厳。 桁(けた)の上に 梁(はり)を掛けない珍しい手法によるもの。臼杵市の 龍原寺(りゅうげんじ)三重塔 (県有文)は藩の名工 高橋団内 が畿内の名塔を巡拝、長所を学び取って安政5年(1858)に竣工。日本最南端、九州唯一の伝統的三重塔。岡 臼杵藩域外には文化財指定建築物はなく、宇佐神宮に集中している。上宮社頭の景観を整えている 南中楼門(みなみちゅうろうもん)(県有文)は、神宮に現存する建物では古い方の物で寛保2年(1742)の建立。入母屋造、檜皮葺の楼門は 不開(あかず)の門といい、勅使や奉幣使参向の時のみ開閉する勅使門。「天子南面す」というが、上宮本殿(国宝)は左より1殿 2殿 3殿の3棟が南面して並列。各殿とも正面3間、側面4間、そのうち後方2間を 後殿(うしろどの)(内院)、前方1間を 前殿(まえどの)(外院)、中間の1間は 相間(あいのま)で、前後方とも切妻造の屋根をのせ、屋根の造りあわせ部に大 樋(ひ)を通す。現本殿は安政2年(1855)から文久元年(1861)の造替。古い神社建築の一つで 八幡造 という。第1殿の西北にある 北辰(ほくしん)神社 (県有文)は前殿 後殿とも方1間の八幡造、本殿に続く文久2年の造替によるもの。八幡造の社殿は大分の 柞原(ゆすはら)八幡宮 (安政2年)、杵築の 奈多(なだ)宮 (明治14年)、京都の 石清水八幡宮 (寛永11年)、松山市の 伊佐爾波(いさにわ)神社(湯月八幡宮、寛文7年)に伝播。表参道を登りつめた上宮入口にある元文5年(1740)造立の西大門(県有文)、下宮神門の左側に慶応元年(1865)造立の高倉(県有文)、西参道の 寄藻(よりも)川 にかかる 呉橋(くれはし) (県有文)も注目したい。県下の国県指定文化財の木造寺社建築の系譜は以上であるが、杵築市の 八坂社石造旧本殿 (県有文)は 石造社殿 の唯一の指定物件。一間社流造、唐破風付の石造社殿は木造建築物そのままの秀作。天保13年(1842) 田染(たしぶ)中村(豊後高田市)の 石工(いしく) 渡辺初助 が造立した貴重な遺構であり、西国東地域の石工技術の高さがしのばれる作品である。
参考文献 県教育委員会編『大分県の近世社寺建築』
[後藤 正二]
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