水産試験場 ( すいさんしけんじょう)
獲る漁業からつくる漁業のパイオニア
豊後水道 に面した村々は、古くから漁業をなりわいとする海部の里である。漁業の歴史は 沿岸漁業 から 沖合漁業 へ、さらに 遠洋漁業 へと進展した。漁船、漁具の機械化が、より遠く、より速く、そして効率的な漁法となり、資源の枯渇問題や領海問題を引き起こした。 獲(と)る漁業から育てる漁業へ、 養殖漁業 から 栽培漁業 への転換がはかられてきた。こうしたなかで漁場調査、漁業技術から漁業に関する広い分野の研究と指導を行っているのが、水産試験場である。
〈サケの放流の試み〉
明治14年(1881)12月、大分県は大野郡向野村竜口(三重町)の湧水を利用して 養魚試験場 を設けた。 養蚕 製糸業 や農業 牧畜 業などの勧業政策をすすめてきた大分県の初の漁業事業である。この養魚試験場では、政府の農務局に依頼して、新潟県 三面(みおもて)川や北海道、兵庫県豊岡から取り寄せた サケ の卵を 孵化(ふか)させ、 大野川 に放流する試験を行った。15年から始められたこの実験は、4年間続けられ、233,340尾を放流したが、17年11月、大野郡小倉木村(大野町)で体長80cm余のサケを1尾捕獲しただけで、成功しなかった。
〈水産試験場誕生〉
明治33年、大分県は大分町の 県農会 事務所内に県立の水産試験場を設置した。8年に佐賀関町の 仲家太郎吉(なかやたろうきち) 橋本権太郎 によって、 簀板(すいた)を 甲板(かんぱん)に改め、多数の 艙壁(そうへき)による空気室を設けた 大分県改良漁船 が建造され、韓国近海のフカ 延縄(はえなわ)漁場が開拓された。17年には、北海部郡中津浦(臼杵市)の 板井立三郎 が、棒の先につけた 銛(もり)で カジキマグロ を突く 突棒(つきんぼう)漁法 を考案、韓国近海で成功をおさめた。これが刺激となって北海部郡の漁民が韓国近海に出漁するようになった。24年には、宇佐郡 長州(ながす)町(宇佐市)の漁民が網を持って韓国近海へ出漁、ついで豊前海、 国東半島 、 別府湾 の漁民も韓国へ出漁、34年には、344隻、1,505人の県漁民が韓国近海へ出漁するまでになった。水産試験場は、こうした時代の要請を受けて設立されたものである。36年、佐賀関町に移転した水産試験場は、翌年2月に漁業試験船 珍彦(うずひこ)丸 を建造した。同年8月、韓国近海で漁場調査中に暴風雨にあって遭難、38年新たに 豊国(とよくに)丸 が建造された。豊国丸は豊後水道から対馬 韓国近海にかけて、各種の網などの漁具や漁法の改良実験、漁場調査を行っている。水産試験場は、養殖試験にも力を注いだ。開設時の33年から 駅館(やっかん)川 八坂川 乙津川 など9か所で ノリ の養殖、今津村(中津市) 三佐村(大分市)での カキ の養殖のほか、 マテ貝 ナマコ イナ ( ボラ ) コイ などの養殖実験を県内各地で行っている。この養殖実験は、依託実験が主で、西国東郡中真玉村(真玉町)でのイナの養殖には、同村の地主 佐藤 直造(なおぞう) があたっている。水産試験場はその後、大分市、臼杵市と各地に移転したあと、昭和44年(1969)、南海部郡上浦町津井浦に新築、現在に至っている。
〈獲る漁業から育てる漁業へ〉
50年10月、アイスランドが200カイリ漁業専管水域を設定したのを皮切りに、世界各国が200カイリ漁業専管水域を設定、沿岸漁業の見なおしを迫られてきた。獲る漁業からつくり育てる漁業への転換である。このため水産試験場も マダイ イシダイ シマアジ ヒラメ などの魚類から アワビ トコブシ ヒオウギ など貝類の種苗生産技術の開発に力を注ぐようになった。48年に実験が開始された音響給餌によるマダイの 海洋牧場 計画は、南海部郡 米水津(よのうづ)湾 と 津久見湾 で事業を開始、54年、水産試験場に隣接して 大分県栽培漁業センター が設置され、種苗生産が本格化した。このほか39年より定期的に国東半島沖 別府湾 豊後水道の生物調査を、漁業調査船 速吸(はやすい)丸 (52年進水)、 豊洋 (59年進水)で行っている。また、資源管理漁場の造成、養殖漁場環境調査、公害調査、赤潮調査などから、61年に開設された 水産加工指導センター での技術指導など、漁業全般にわたって、研究と指導が行なわれている。さらに遠洋 沖合漁業の指導 援助に漁業指導船黒潮丸(47年進水)があたっている。
〈浅海 内水面の漁業試験場〉
26年、豊後高田市に 大分県浅海漁業研究所 として設立され、31年に水産試験場高田分場と改称、40年に 大分県浅海漁業試験場 となった。豊前海の 干潟 の開発を目的として、ノリ 貝類の増養殖が主研究であったが、沿岸漁場づくりの研究、 カレイ クルマエビ ガザミ ハマグリ アカガイ などの種苗生産、放流技術開発に重点がおかれている。宇佐郡 安心院(あじむ)町の 大分県内水面漁業試験場 は、大正4年(1915)に大分市 永興(りょうご)に開設された 水産試験場永興養魚場 が、42年に移転、独立したものである。当初は コイ の種苗生産が主業務であったが、 アユ エノハ 、 ウナギ スッポン の種苗生産へと広がった。
[佐藤 節]
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