末広焼 ( すえひろやき)

短命で消えた末広焼

 19世紀初頭、極限られた期間 臼杵藩 内で焼かれていた「やきもの」である。記録(「 温故年表録 」「 古史捷(こししょう) 」)によると、享和元年(1801)から同2年ころにかけて藩命を受けた家臣が、末広の皿山において 窯 を開く準備に取りかかり、同2年11月には、島原三重町(長崎県島原市三会)、筑前小石原村(福岡県朝倉郡小石原村)、延岡小峰町(宮崎県延岡市小峰)の3か所から陶工とその家族の合わせて9名を臼杵に招き、末広皿山において陶業に従事させていたことが記されている。さらに、文化元年(1804)には、下末広村の和太七という者が、皿山で生産された焼物で商売することを藩庁に願い出て許可された旨の記事も見受けられる。当時臼杵領内において、日常生活容器としての 焼物 等の供給が必ずしも満足できる状態ではなく、庶民の焼物に対する需要の高まりがあり、ここで生産された製品で商売しても十分に採算が取れると見込んでのことと考えられる。この焼物商売は、かなり繁盛し利益を得ていたらしいことが記録の上から間接的にではあるがうかがえる。文化6年8月の記事によれば、和太七の下女が身分不相応な衣類を着ていたことが 咎(とが)められ、主人であった和太七が監督不行届の罪によって 二七日(ふたなのか)(14日間)の入牢を申し付けられたとある。さらに、同年9月の条に末広村和太七が、冥加として米一石二斗を藩に差し上げたことも記されている。この時代、一般的に庶民は食べてゆくだけで精一杯といった社会情況の中にあって、下女が身分不相応な衣類を身にまとうことができたという事実は、裏をかえせば下女への給金が良かったということをうかがわせてくれる。また、冥加を納めたという記事からは、和太七の焼物商売がうまくゆき、順調に利益をあげていたことが読み取れるのである。文化6年以降、記事はしばらくとだえるが、商売繁盛の状態はこの後もしばらくは続いていたものと思われる。それが、同12年3月の条に突如として、末広皿山跡を元の持主に返すという記事がでてくる。すなわち、末広焼の窯が廃窯となっているのである。一時は順調と見えていた焼物生産が、開窯そして生産に入ってからわずか10数年にして窯を閉じてしまっているのである。短期間で末広焼の生産を停止せざるを得なかった原因は一体何であったのだろうか。記録の上からこれを明らかにする資料はないが、いくつかの要因は考えられる。まず第一に、臼杵には焼物の原料となるべき陶石がないということである。このことは、原料を他の生産地に依存しなければならないということであり、原料購入の費用、臼杵までの運搬費用などの経費がかさみ、それが結果的に製品価格に跳返り、採算が取れなくなった。第二に、庶民の希望あるいは要求を満たす、安くて質の良い品物が、藩外から多量にもたらされるようになった。第三に、第一の理由とも関連するが、連房式の登窯であったため、自然条件あるいは窯への火入れやその調整といった人為的な要因などによって、窯詰された品物のすべてが成功したとは限らなかったなどといった点が十分推測される。生産性と採算、さらに新しい製品の大量流入による販路の縮小といった点から次第に利益が減り、商売として成り立たなくなって廃窯という結果を招いたと考えられる。
〈窯跡の位置と規模〉
 窯跡は、末広善法寺の集落から 善法寺(ぜんほうじ)川 に沿って、南西へ700mばかり入った大字末広字寺尾の山林に位置している。窯は、東側にのびる二つの丘陵にはさまれた谷間の標高25〜29mの南東緩斜面に築かれている。窯の構築に適した緩斜面があること。燃料としての薪のとれる山がまわりにあること。陶土や陶石を砕く水車等の動力源としての水があることなど地理的、物質的条件を兼ね備えていたことが、この地に築かれた要因といえよう。窯の水平全長は17.45mで、 焚(たき)口1室と焼成室5室からなる連房式 登窯(のぼりがま)である。焚口の床面と焼成室最上室(5室)の床面との比高差は約2.9mある。窯跡の傾斜角は約12度である。焼成室は、上方にゆくに従い室の規模が大きくなっている。第5室は、第1室の3倍弱の大きさをもっており、下から上へゆくに従い扇状に開いている。
〈焼物の種類とその源流〉
 末広焼には、磁器と陶器の2種類がある。器種としては、碗や皿、 蓋(ふた)、盤、香炉、壷、甕、 擂鉢(すりばち)、こね鉢、花筒、土瓶、植木鉢、根付など多彩なものがある。でも碗と皿の数は圧倒的に多い。磁器の碗や皿の絵付には、笹の葉文、松葉文、花蝶文、蔓草文、昆虫文などの文様が多く認められる。絵付文様は、延岡小峰焼の文様と非常に類似している部分が多く、小峰焼の系譜を引くものと考えられる。また、陶器については釉調や技法などの点から小石原から来た陶工の影響を強く受けていることがうかがえる。
 参考文献 臼杵市教育委員会『末広焼−窯跡発掘調査報告書』
[菊田 徹]

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