菅生事件 ( すごうじけん)

不明のままの駐在所爆破犯

  日本共産党 の 火炎ビン闘争 の盛んだった昭和27年(1952)6月2日、直入郡菅生村(竹田市)国家地方警察大分県竹田地区警察署巡査駐在所で発生した爆破事件で、犯人として逮捕された 共産党員 は裁判の結果無罪となり、また裁判の途中で現職の警備警察官が事件の中心人物であることが判明して起訴されるなど謎の多い事件であった。以下『戦後政治裁判史録』で概観する。
〈事件の発生〉
 事件が発生したのは6月2日午前零時30分ころで警察の起訴事実によれば、砂や小石などをつめたガラスびんの中にダイナマイト、雷管、導火線を入れた爆発物が駐在所に投げこまれ、事務室の床板の一部や室内の建具いすなどが破壊された。当夜駐在所の周辺には牛の窃盗犯を捕えるべく数十人の警察官が張り込み中であったので、現場近くで共産党員の農業 後藤秀生 と僧侶 坂本久夫 が現行犯逮捕され、坂本の所持品から駐在所の軒灯の電球、雷管導火線、ダイナマイトなどが発見された。二人の外に仲間と見られた農業 後藤守 、 阿部定光 、 藤井満 らも自宅等で逮捕された。かれらも共産党員であった。当時菅生村では開拓農協組合長の組合費横領事件があり、前年の暮には日農支部も結成され「ボス支配の排撃 村政批判」が叫ばれその先頭に後藤秀生らが立っていた。また当時日本共産党は農村における勢力扶植のため 山村工作隊 を派遣し、火炎ビン闘争なども各地で展開していたので警察のいう共産党軍事委員会の菅生村での武力闘争との見解もそれなりに説得力を持つかに見えた。
〈無実の主張と消えた男〉
 逮捕された5人はダイナマイト不法所持、牛の窃盗、殺人未遂、建造物損壊、爆発物取締り罰則違反、脅迫など7つの罪名で 大分地裁 に起訴された。しかし被告全員は一貫して無実を主張し、起訴事実の中に氏名不詳として出てくる「 市木春秋 」の仕組んだものだと訴えた。市木なる人物は27年3月ころ製材業者の住込み雇いとして菅生村に来て後藤らに接近して入党、5月29日判田村芝(柴)尾諫作方で村田克巳からダイナマイト約18本、雷管15個および約10米の導火線を受けとり、これを菅生村の菅方で後藤秀生に渡した人物で、事件直後から姿を消した人物である。
〈市木春秋は現職の警察官〉
 30年7月第一審判決は被告の主張は入れられず、後藤秀生の懲役10年をはじめ殺人未遂を除き全員有罪が宣告された。検察 被告双方が控訴し、控訴審の進行中の31年12月8日弁護団が「市木春秋」が 戸高公徳 という現職警官であることを探知発表した。警察は否認したが32年3月共同通信記者が東京新宿区のアパートに偽名で住む戸高を突きとめ、追求した結果本人が「市木春秋」なることを認め、ここに現職警官が事件に介在したことが明らかとなった。
〈無罪となった爆破事件〉
 二審では戸高の出現にもかかわらず検察は爆破事件を被告らの犯行であるとして譲らず、また戸高については日本共産党の武力闘争阻止のための調査活動だとしてその正当性を主張した。これに対し弁護側は、農民運動弾圧をねらう警察が戸高を使って事件をデッチ上げたと主張した。判決は一審判決を破棄し、爆破事件については両名ともに無罪とし、また駐在所爆破についても爆発物室内セット説を主張した東大鑑定を採用して検察側主張を斥けた。なお爆破実行犯については、被告人らには共謀による共犯者があるとの考え方もありうるとしたが、これを認定するに足る確証ができなかったとして判断をさけた。この判決に対し検察 弁護双方とも最高裁に上告したが、35年12月16日第2小法廷 小谷勝重裁判長が上告棄却の判決を下し一件落着した。結局犯人は不明のまま事件は決着したわけであるが、24年国鉄人員整理の渦中に連続しておこった下山 松川 三鷹事件と同じく不透明さを 拭(ぬぐ)いきれない事件であった。なお5名の控訴審判決は次のようであった。後藤秀生 懲役3年 爆発物取締罰則違反(所持) 脅迫、坂本久夫 無罪,後藤守 罰金3,000円 刀剣不法所持、阿部定光 無罪、藤井満 懲役6月執行猶予2年 傷害脅迫。
〈起訴 刑免除となった戸高公徳〉
 戸高は爆発物取締罰則違反で起訴された。共産党員に似せて駐在所に脅迫状を投げこんだ件は時効になっていた。戸高の裁判は一審では無罪であったが二審の高裁は原判決を破棄し、戸高の爆発物譲与行為を罰則違反としまた正当な職務行為の限界を越えるものと判断したが、戸高の上司に対する報告を自首と認定し、後藤にわたしたダイナマイトも全て回収されたことから罰則第11条を適用し「刑を免除」する判決を下した。
[三重野 勝人]

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