石器母材 ( せっきぼざい)
良質の石材さがしは旧石器人の大仕事
人類の歴史の中で最も長い時代である旧石器時代の最重要な道具は 石器 である。食料となる動物を仕止める、解体する、皮を 剥(は)ぎ 揉(なめ)す、骨を削って道具を作る、また樹木を伐採し加工する等、生活に必要なこれらの作業は鋭利かつ堅ろうな石器なくしては成り立たない。いわば人類は、石器を発達させることによって作業を効率化させ、生活を向上させていったといっても過言ではない。旧石器にとって最大の関心事であり大仕事の一つは、良質な石器母材を確保することであった。
〈主な石器母材〉
鋭い刃物としての石器に適する石材は、 フリント ( 燧石(ひうちいし))、 チャート 、 メノー 、 黒曜石 、 サヌカイト 、硬質 頁(けつ)岩等である。ヨーロッパや中近東地域ではフリント、 火山 の多い日本や北米、中米で黒曜石が多く使用されている。これらの石材は、硬く、 緻密(ちみつ)で、割れ口が貝殻状を示し、打ち欠いて加工しやすい特徴をもつ。またその破片のエッジは鋭く、金属の刃物同様の切れ味を有している。さらにこれらの石材は、一定の方向の力を加えることによって、石器の素材となる 剥片(はくへん)を連続的に量産できるという特質も備えている。このことは、貴重な石材を効果的に使用する上で、非常に重要なことである。
〈石器母材の入手〉
石器母材の獲得は、自然の転 礫(れき)を採取することが最も容易な方法である。自然礫の入手が困難な場合は、直接岩盤を採掘する方法がとられたと思われる。その例としてヨーロッパ地方では、フリントの地下採掘抗が発見されている。日本においても、中部地方星ヶ塔原産地で黒曜石の採掘跡が発見されている。
日本における旧石器時代の主要な石器母材を地域別に見ると、北海道地方は黒曜石、東北地方は硬質頁岩、関東地方は黒曜石、近畿 瀬戸内地方はサヌカイト、九州地方は黒曜石 サヌカイトに大別できる。とくに北海道地方には十勝石と呼ばれる美麗な黒曜石が産出し、遠くシベリア地方にまで運ばれている。また伊豆諸島神津島の黒曜石も海を渡って南関東地方に供給されている。さらに九州地方においても佐賀島腰岳産黒曜石が韓半島南部にもたらされた形跡がある。
〈大分の石器母材の分布〉
大分県は九州地方の中でも、良質の石材に恵まれているといってよい。有名な 姫島 の黒曜石をはじめ、 大野川 河床の ホルンフェルス 無斑晶 流紋岩(りゅうもんがん) 、 番匠(ばんじょう)川 流域のチャート等である。姫島では、黒曜石のほかにガラス質 安山(あんざん)岩 も重要な石材として供給されている。この姫島の二つの石器母材は、旧石器、縄文時代を通じて主として県北地方で多く使用されており、一部では大野川域にまで及んでいる。とくに姫島黒曜石は、縄文時代は広く瀬戸内方面はもちろんのこと、南四国や一部山陰地方にまで分布している。大野川の中流域の河床に自然礫として採取されるホルンフェルス 無斑晶流紋岩は、東九州地方で最も主要な石材である。とくにホルンフェルスは、大野川流域はもちろんのこと、 別府湾 沿岸、 筑後川 流域、 大分川 流域、臼杵地方にまでが供給範囲となっている。大野川流域は日本でも有数の旧石器時代の濃密な遺跡集中地域となっているが、その最大の要因は、豊富で良質な石材に恵まれていたからと思われる。
このほか注目されるのは、大分県内に遠く佐賀県の腰岳産黒曜石や、サヌカイトが持ち込まれていることである。腰岳黒曜石は、黒色の良質のもので、大野川流域の 駒方(こまがた)遺跡 、 百枝(ももえだ)遺跡 や 本匠(ほんじょう)村 聖岳(ひじりだけ)洞穴 、筑後川流域の 五馬(いつま)大坪遺跡 等で発見されている。サヌカイトについては、大分県内ではほとんど産出しないことから、とくに筑後川流域の遺跡で使用されている。
筑後川上流の五馬台地にある五馬大坪遺跡では、実にバラエティーに富む石材が使用されている。大分県内に産するホルンフェルス、 硅化木(けいかぼく) 、姫島産ガラス質安山岩、西九州地方の腰岳黒曜石、長崎県針尾島周辺の黒曜石、サヌカイト、さらにあまり良質でない 小国(おぐに)地方産の黒曜石、このほか産地不明の石材が2、3あるというように各地の石材が持ち込まれている。このような現象は、近くに良質の石材の原産地がないところに起因するものと思われる。しかしこのことが逆に供給ルートと分布範囲を考える上では興味深い(清水宗昭「旧石器時代」『大分の歴史』第1巻)。
〈石材の供給ルート〉
交通手段の発達していない旧石器時代では、すべて徒歩によったことは疑いない。姫島についても、当時は寒冷な海退期にあたり、陸づたいでもたらされたと思われる。西九州産の黒曜石、サヌカイトについては、九州中央産地を越えてもたされたものである。遠くから運ばれて作られた石器を手にするとき、距離をものともしない旧石器人の息吹きが伝わってくるのである。
[清水 宗昭]
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