瀬戸内海航路 ( せとないかいこうろ)
海の女王の走る別府航路
明治20年(1887)6月24日『朝野新聞』に「該港は四通五達の地にして、阪神の間には毎日汽船の来往あり。わずかに一昼夜を費せば、これに達することを得べし」と温泉地別府と阪神が内海航路によって密接であることが記されている。
〈別府航路〉
明治17年創立の 大阪商船株式会社 は、それまで別府−大阪間を主として運行する各船問屋を統合して発足し、大阪−神戸−多度津−今治−三津浜−長浜−別府−大分−佐賀関−臼杵−佐伯−細島航路と、大阪−神戸−多度津−今治−三津浜−別府−大分−佐賀関−八幡浜−宇和島航路に就航した。18年に 宇和島運輸会社 が創立され、20年には尼が崎汽船部も航路を開き競争が激化した。そのため23年には関西同盟汽船部を設立して、乗船券の共同発売などをした。このような状況下に大阪商船は、45年にドイツ客船を買収して 紅(くれない)丸 と命名、豪華客船として 別府航路 に就航させた(『別府市誌』昭和8年)。瀬戸内海航路の女王といわれた紅丸の就航で大阪−別府間の航路を開いた大阪商船は、大正2年(1913)門司へと航路を延ばし、大阪別府門司線と改称したが、翌3年には門司航路を廃止して大阪別府線と称した。大正10年には1,600tの新造船 紫(むらさき)丸が就航、阪神地方から 別府温泉 への入湯客も増加した。とくにこの航路は阪神と四国西部、九州東岸各地への最短交通路であるために一般旅客も増加した。さらに昭和2年(1927)には毎日出帆、翌3年には昼夜両便となり、寄港地は神戸 高松 今治 高浜(松山港) 大分で、ディーゼル優秀客船の緑丸 紅丸に紫丸 屋島丸の4隻が就航、4年からは新造船 菫(すみれ)丸が加わり、昼 夜両便ともに毎日1回両地を出帆、瀬戸内海を昼間航海出来るようにして観光の役割も果たした。航路としては別府宇和島線や宇品別府線もあって、中国 四国との連絡にあたった(『大阪商船株式会社五十年史』 昭和9年)。
〈関西汽船〉
日中戦争 の拡大に伴い、海運も戦時体制を強めて行く。瀬戸内海航路経営の大阪商船 摂陽商船 宇和島運輸 阿波国共同汽船 土佐商船に尼崎汽船 住友鉱業が加わり、「政府の意図する海運国策に遵応し、海運統制の徹底、企業組織の合理化、船舶の改善拡充を容易ならしむるのみならず、(中略)有事に際し国家の急に応じ得べき船隊を整備せんとするものなり」と、新会社 関西汽船株式会社 設立認可の申請書を17年2月に提出、認可、発起人総会を経て、5月4日に新会社の登起が完了(創立日)、11日から営業を開始した。資本金1,500万円、船舶86隻、本社は大阪、別府に支店が置かれた。同年3月25日に、戦時下の海運機構を規制する戦時海運管理令が施行され、船舶の使用、船員の徴用、さらに200t以上の汽船、150t以上の機帆船などすべて政府の管理下に置かれることになり、4月1日に船舶運営会が創立され、関西汽船も所属船舶のほとんどを国家使用船として引渡し、100t未満の6隻のみが自営運航出来るという状況になった。そのような中で同社の県内関係の航路は、大阪−別府線(18年3月より阪神九州線と改称、1日1便、にしき丸 むらさき丸 すみれ丸)、門司宇和島線(2日1便、宇和島丸)、宇和島別府急行(2日1便、あかつき丸)、呉広島別府線(1日1便、摂州丸)であった。しかし戦局の悪化に伴い、18年3月にしき丸が海軍に、すみれ丸とかつて別府航路に就航していた くれない丸 (当時大阪小松島間)も南方へ徴用され、兵員や物資の輸送に当たった(くれない丸は19年9月フィリッピン方面で沈没、すみれ丸は戦後オランダが接収)。かつて女王のような美しい船体も、黒灰色に塗りつぶされ、相次ぐ空襲、機雷投下で運航維持も困難となり20年5月1日阪神九州線、6月1日広島別府線とつぎつぎと運行を休止し、海運はほとんど壊滅状態で8月15日を迎えた。
長い歴史の中で10年7月3日香川県 小豆島(しょうどしま)沖で、濃霧の中で大阪商船 みどり丸 が大連汽船千山丸と衝突して沈没、18年7月15日には愛媛県北条沖で阪神九州線の 浦戸丸 が宮地汽船聖山丸と衝突して沈没、終戦直後の10月7日大阪天保山を出港、西宮沖で機雷に触れて沈没した 室戸丸 など多くの犠牲者を出した痛ましい海難事故も起こしている(『関西汽船25年の歩み』 昭和43年)。
戦後新しい船もつぎつぎと造られ、さらに観光客の増加、特に昭和26年4月着工した別府の 国際観光港 (42年7月、旧桟橋より移転)、39年10月の 九州横断道路 の開通も加え、瀬戸内海航路は大型観光船、さらに フェリー の就航と新しい時代を迎えて行く。別府を拠点とする関西汽船、宇和島運輸、 広別汽船 、大分を起点とする ダイヤモンドフェリー 、その他佐賀関−三崎間、佐伯−宿毛間、竹田津−徳山間にもフェリーが通っている。
[吉田 豊治]
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