戦力増強企業整備 ( せんりょくぞうきょうきぎょうせいび)
産業報国企業は整理
戦力増強の名のもとに、昭和18年(1943)制定の戦力増強企業整備要綱に基づき、雑工業を徹底的に整理し、その他平和産業の大部分の施設 設備を休廃止し、その設備 資材 労働力を 軍需産業 に転用しようとする政策である。
〈経済統制の強化で増えた中小企業者の転廃業〉
昭和12年 日中戦争 が始まり、戦争の長期化に対処するために「輸出入品等臨時措置法」「臨時資金調整法」「 国家総動員法 」などが制定され経済統制が進むと、配給などで生活必需品の流通量が減少し、また他面では軍需産業に労働力が流出して、都市農村を問わず中小商工業者は転廃業など厳しい局面に立たされるようになった。昭和15年の『大分県会速記録』によると1議員の調査では「転業シナケレバナラヌ者ガ二千三百三十三人(中略)其ノ内酒小売ヲスル者ガ六百三名、綿類商ガ百七十余名」となっており、生産制限や販売禁止措置などが、大きな打撃を中小の商工業者にあたえたことを物語っている。このため15年6月には 戦時生活相談所 が県内に設置され問題処理にあたったが、11月20日現在で相談にきた員数は商業関係75人、工業関係30人、帰還兵5人で、このうち商業関係者の業種は菓子 酒 織物 貴金属 装飾 綿布 文房具 印刷 帽子など10余にのぼっている(『 豊州新報 』)。いずれも戦時にあっては最初に不要とされる業種であった。また15年に入ると 米穀通帳 制が採用され、1人1日2合3勺体制ができると、例えば大分市の場合だけでも100軒の 米穀商 が4分の1の25軒に整理され、店員の3分の2は転業の見込みと伝えられた(同前)。
〈戦局の悪化と戦力増強企業整備要綱〉
昭和16年12月8日日本はハワイ真珠湾を奇襲攻撃して 太平洋戦争 が始まった。緒戦は日本の優位のうちに進んだが、17年6月のミッドウェー海戦で戦局は逆転し、18年2月のガダルカナル島での敗北を転機に米軍の反攻が始まった。以後米軍は島づたいに北上し19年6月にはサイパン島を占領して日本本土爆撃の拠点とした。このような状況の中で軍需資材の海外からの輸入は極度に困難となり、国内の 金属回収 や民需産業の施設、設備などを軍需産業へ転用するなどの措置がとられた。昭和18年に発せられた戦力増強企業整備要綱はそのような役割を担うものであった。県下の場合は中小商工業者が大部を占めており、この要綱をうけて 商工会議所 に代わる 商工経済会 が組織され主導的役割を果たした。商工会議所は明治23年 商業会議所 として出発した商工業者の自主的組織であったが、ここにいたって会頭が商工大臣に任命される国策遂行の統制機関となったのである。 企業整備 は、昭和17年に第1次の指定があり、石炭 自転車 貴金属時計 呉服 洋品雑貨 薬種 米穀 酒商など11が整理され、ついで金物 陶磁器 ガラス 木炭 味噌醤油(みそしょうゆ) 菓子などと続いた(『 大分合同新聞 』)。この措置によって相当数の商工業者が転廃業に追いこまれたと推定されるが、例えば酒造場は18年末までに185が70に整理され(同前)、また米穀商は17年に 食糧管理 法の一部改正により県食糧営団が設立されたことから多くが転廃業に追いこまれ、営団の職員334人はほとんどがその失業者で占められたという(『大分年鑑』)。日本屈指の金山であった 鯛生(たいお)金山 も県下8金山とともに休鉱に追いこまれたが、これも金よりも戦争に重要な石炭 銅 鉛 鉄などの生産に労働力を配置転換するためであった。19年に入ると職工10人未満の酒造業 製綿業 菓子製造業など13の業種の事業所の金属設備の供出が命じられ廃業に追いこまれた。この後も戦局の推移にともなって整理は続けられ、終戦時には物資供給の途絶や 隣組 の物資直接配給の普及により、ことに商業者は無用となり「商売のタネのなくなった者は工場に行け」(『大分商工会議所五十年』)という企業整備のねらいが実現したのであった。企業整備と表裏一体の企業の合同も16年頃から推進された。17年 豊州新報 と 大分新聞 が合併して 大分合同新聞 が誕生し、また20年 別府大分電鉄株式会社 が県北の各交通会社を併合し 大分交通株式会社 が成立したのはその例である。このほか戦局が緊迫の度を加えるにしたがい民需会社の軍需への転換が推進された。 臼杵鉄工 は日中戦争 勃発(ぼっぱつ)後 小倉造兵廠 の命令で 軍需工場 に指定され、17年には従業員1,092人で戦車のエンジンや部品、更には50キロ爆弾弾頭月産4,500個 りゅう弾砲弾5,000個を製造した。このほか 片倉製糸大分工場 は第12海軍航空廠大道工場に、 大分出水製糸 は 海軍 理科学研究所 となり佐世保海軍工廠の指定工場として潜水艦の部品生産を、その他 中島製粉機 は砲弾 航空機、 富士紡 は軍服、 旭製紙 は軍用のチリ紙 ザラ紙 風船爆弾 用風袋、 佐賀関製錬所 も19年5月軍需工場の指定をうけ銅の生産に全力をあげた(『大分県史』)。
[三重野 勝人]
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