中津城下町 ( なかつじょうかまち)

細川三斎の作った町

  福沢諭吉 を生んだ町中津は、県北の中心都市であるが、その源は江戸時代の 中津藩 の城下町である。豊前地方の中枢都市として、城下町として、瀬戸内に面した港として江戸時代から栄えている。中津は、天正16年(1588) 黒田 孝高(よしたか) が入部し、 中津城 の築城に着手したことにより城下町としてスタートする。孝高は、城下町づくりが未完のうちに福岡へ転封する。その後を受けて入部した 細川 忠興(ただおき) ( 三斎(さんさい))が、家督を 忠利(ただとし) に譲って、元和7年(1622)中津城へ入り、彼の町づくりが始まる。まず、 金谷堤 を築き 山国川 の 氾濫(はんらん)を防ぎ、相原(中津市)より山国川の水を城内へ水道として引き入れ、町割をし、十間堀を埋立て 新博多町 を作っている。「入口ごとに見付け番所あり」(『 筑後紀行 』)というように、城下と在方との出入口として、西に 広津 、 小倉口 、南に 金谷 、 島田口 、東に 蛎瀬(かきぜ) 、 大塚 の六口を設け、各口には番所を設け、出入りを監視させている(『中津歴史』)。細川氏が寛永9年(1632)熊本へ転封した後、 小笠原氏 が入部し、「中津ノ市街ノ全ク成就セシハ寛永ヨリ寛文」(『 豊前志 』)といわれるように、小笠原氏の時代に城下町づくりが完成したと思われる。承応元年(1652)には、町奉行 沢渡志摩 、大工頭 内海作兵衛 に命じて、相原から城下町へ 水道 を作らせている。また、城下14町もこの時代に完成し、「月行事」(町年寄)40名をおいている。小笠原氏 改易(かいえき)後入部した 奥平氏 は、入部直後の享保3年(1719)、城下町に対して次のような政策をとっている。@「月行事」40名を「町年寄」6名に再編成し、「月番」として交代として町を運営させる。A町年寄の下に1町につき2名の組頭を設け、補佐させる。B城下14町を6組にわける。C城下町商業保護のため、享保2年(1718)に「四商売城下三里四方御停止、但、酒造、油木、綿替、蝋坂場」という三里四方商売禁止令を出している。D城下と在方の区別のため、城下門口に「 口(くち)屋 」を設けている。E諸物価の値にひとつひとつ干渉し、商業統制をしている。享保6年(1721)の記録によれば、城下町の人口は、5,166人である。(領内総人口9万8,624人)その後、「門外店」と呼ばれる在方商業が起こり、城下商業を圧迫してくる。城下商人からは何度となく、「御門外店御差留」の願書が差出されている(「 惣町大帳 」)。しかし、幕末になると城下町商業の保護だけでは藩経済が成立しえない状況になり、藩が積極的に門外商売を許可していく。大政奉還、 廃藩置県 となっても、中津は、 中津支庁 が置かれ、中津町と呼ばれるが、県北の中心都市として栄える。
〈城下14町〉
 小笠原時代に、新博多町、 古博多町 、 京町 、 米町 、 姫路町 、 豊後町 、 新魚町 、 角木町 、 諸町 、 塩町 、 堀川町 、 船町 、 古魚町 、 桜町 の14町ができる。享保初期の軒数は1,326である(「 庄文書 」)。城下町の町割は、奥行15間で統一されている。また、城下町へ商工業者を集中させるため、細川 小笠原時代は、 地子(じし)が課せられていなったようである。奥平時代の宝暦年間から地子が課せられたようである(『中津歴史』)。町家の屋根は、奥平氏の方針でもあったが、18世紀半ばから 瓦葺(かわらぶき)となったようである。享保3年(1718)11月11日、城下には大火にみまわれ、213軒が焼失(世帯数299)し、町の5分の1が被害にあっている。復旧工事が早急に開始されたが、武家屋敷から始めたため、大工の数も不足し、町家の工事は12月に入ってから着手されている。城下14町の形成とほぼ同じころ、中津を代表する祭「 祇園祭 」も城下各町が山車を作り行われはじめている。
〈町の支配組織〉
 奥平氏入部後は、各町1名、計6名な町年寄が、月番で町政を運営している。町年寄は、それまで無給であったが、町の1軒から銀1匁を出させ、「礼銀」という形で給与が与えられるようになった。町年寄は、月6回会所へ集り、祭などの諸行事、町の運営を話合って決めていく。彼らの下には、組頭(各2名)とその補助役を雇っている。町年寄には、一般町人と差別するため、いろいろな格式が与えられている。
〈惣町大帳〉
中津城下14町の「惣町」の町会所の記録が「惣町大帳」である。現在 中津市立図書館 に残されている。享保3年6月21日に町奉行宅に町年寄6名が呼び出された記事にはじまり、文久2年(1862)まで、146年間、110冊が残っている。米相場、物価の変動、土地争い、人口等内容が多岐にわたり、日々記録されたもので、政治、社会、経済、文化の変化が記されており、中津藩政の展開がわかる貴重な史料である。町年寄 小畑利四郎 、 天保義社(てんぽうぎしゃ) ( 中津銀行 )の手を経て、図書館に保管されている。
[佐藤 香代]

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