日田県 ( ひたけん)
天領から日田県へ
長崎奉行および 西国(さいごく)郡代 の旧支配地に、長崎府 富岡県 富高県などとともに慶応4年(1868)閏4月25日に設置された明治維新政府の直轄地。全国的には、明治4年(1871)7月の 廃藩置県 まで府藩県三治の体制が続いたが、11月14日の大分県成立に際し、日田県も旧諸藩とともに吸収されて消滅した。存続期間は約3年半である。当初、日田 玖珠 下毛3郡中の旧西国郡代支配域6万石余を県域としての出発であったが、その後周辺の旗本領や諸藩預所を加え、20万石前後で終始する。明治3年2月現在、日田県役所は、別府 四日市 小倉 富高に出張所を持ち、計36人の役人を擁していた。初代 知事 は 松方助左衛門( 正義(まさよし)) 、第2代知事は 野村宗七(盛秀) である。
〈日田県の発足〉
慶応4年1月3日の 鳥(とば羽) 伏見(ふしみ)の戦い で、薩摩藩 長州藩を主力とする討幕派が勝利し戦局の主導権を確立すると、1月半ばには長崎奉行 西国郡代ともに任地を放棄して逃亡した。1月25日新政府によって 九州 鎮武(ちんぶ)総督 に任命された 沢宣嘉(さわのぶよし) は、2月には新設の長崎裁判所総督となった。したがって九州における旧天領は、法的には九州鎮武総督府 長崎裁判所管下を経て、維新政府直轄の長崎府 日田県 富岡県 富高県に移行したということができる。しかし、日田県の発足に至る現地の経過は、もっと 錯綜(さくそう)したものであった。1月14日豊前宇佐で倒幕を旗印とする 御許山(おもとさん)騒動 の火の手が上がり、御許山勢襲来の風聞が飛びかう中を、17日西国郡代 窪田治部右衛門(くぼたじぶ えもん) は肥後菊池方面に逃亡した。入れ替わるように森藩兵が進駐して、「為朝廷、久留嶋伊予守守衛地」という板札を各所に建てるが、間もなく熊本藩 福岡藩 久留米藩も到着した。 永山(ながやま)陣屋 入り込みは、薩摩藩の到着を待って行われ、以後薩摩藩主導の日田警備が続けられる。2月7日付けで、 岡藩 森藩 による管轄指令が出ると、これまで郡代お膝元の恩恵に浴して来た地元の支配層は、あるいは薩摩藩による支配の継続を要望し、あるいは鎮武の公家を迎えたいとして、京都に代表団を送り込んだ。しかし現実には、3月9日から岡 森両藩による警衛時代にはいる。そして、2か月後の閏4月13日には長崎裁判所に引きつがれ、25日に松方助左衛門が日田県知事に任命されるのである。松方は、6月11日9人の伴を連れて日田に着任した。
〈松方日田県政〉
松方知事は薩摩藩出身で、長崎裁判所参謀からの栄転であった。赴任時は33歳の若さであったが、日田県では、 日田金(ひたがね) を結集して朝廷への10万両献金を実現させたほか、全国初の社会事業として注目される 養育館 事業、宇佐郡 広瀬井路 国東郡 呉崎新田 の造成、 別府築港 等々県全域で積極策を展開した。中央で活躍する同郷の先輩大久保利通を地方から支援する意味もあり、日田県での実績を背景に、政府に対する数々の建議を行うとともに政府の諮問に答えた。 長崎キリシタン問題 福岡藩贋金問題 など県域以外の諸問題にも腕をふるわなければならなかった。3年閏10月民部大丞として栄転するが、中央では終始大蔵 内務畑を歩き続け、最終的には総理大臣 枢密顧問官 内大臣 元老にまで登りつめた。長命であり、政治生命も長かったので、終生旧日田県域からの各種要請に対応することにもなった。
〈廃藩置県への地ならし〉
松方の後任に長崎県知事野村宗七が任命されたのは、3年12月28日であった。知事空白期間が2か月余に及んだ。 日田県一揆 の爆発と二豊一円への波及は、その間の出来事であった。一揆の背景には、熊本藩の藩政改革と前年の大 飢饉(ききん) をうけての維新政府による税制改革があったはずであるが、 大楽源太郎(だいらくげんたろう) ら長州藩脱徒の策謀を重視した対応がなされた。野村は翌4年2月4日日田に着任し、まず一揆と 大楽騒動 の収拾 処分に追われる。中央から四条陸軍少将が下向し、出張法務省が置かれ、諸藩の事件関係の呼び出し 尋問が続いた。豊筑全域にわたる厳重な警備体制が解かれるのは6月中旬のことであった。2月に指令された延岡藩下の豊後国 千歳(せんざい)役所 付2万石余と日田県下の日向国富高役所付2万7千石余の交換も6月下旬に完了した。11月には旧豊後国一円を領域とする大分県が成立するが、すでに廃藩置県後の地方制度を展望した上での施策であったと思われる。野村県政は、大楽騒動の処理と廃藩置県への地ならしに追われたということができる。日田県廃止のあと、野村知事は埼玉県令に栄転した。大分県への事務引継準備は、日田県発足以来両知事を補佐して来た 白浜勘兵衛(貫礼) を中心に行われた。
参考文献 徳富蘇峰編『公爵松方正義伝』 福岡ユネスコ協会編『九州文化論集』第5巻
[末広 利人]
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