日田杉 ( ひたすぎ)

九州三大美林の一つ日田杉

 日田地方の杉は、巨木で知られる鹿児島県屋久島の屋久杉、宮崎県日南地方の 飫肥(おび)杉とならんで、九州三大美林として有名である。その林野面積は、日田市郡の約5,300ha、その95%が民有林である。日田杉の特徴は、杉 挿木(さしき)苗造林で材木の成長が良く、品種は選抜固定され、やや疎植で短伐期経営である。日田地方の中心地 日田市は、 下駄(げた) 家具 日田漆器など木工業がさかんである。
〈天領日田〉
 日田郡中津江村宮園の 津江神社 の境内に、大分県指定の天然記念物で日田杉の元祖木といわれる樹齢500年という巨木約30本がある。延徳3年(1491)、 津江城 主 長谷部 信安(のぶやす) が社殿改築の際、植林したものと伝えられている。段上達雄によると、江戸末期にさまざまな形で 植林 技術が伝わり、安永7年(1778)に幕府が義務造林の制度を設け、 天領 (幕府の直轄地)日田にもその政策が波及したこと、さらに文化14年(1817)、 日田郡代 塩谷大四郎(しおのやだいしろう) によって杉の植林が奨励され、そのもとで多くの林業家が生まれ、日田杉の基盤づくりがなされた、という。しかし、焼畑などの農地に陰ができるという理由などで、杉植に関する紛争が各地で生じている。
〈戦争が植林のバネに〉
 明治10年(1877)の 西南戦争 の兵火は、熊本市街に大きな被害をもたらした。その復興のため木材が高価で取り引きされ、植林がさかんとなった。25年、大分県は林産 蕃殖(はんしょく)奨励費下附規則を設け、35年までの10年間に5,639円を投じて植林をすすめることにした。植林は、杉、松、 檜(ひのき)などで、玖珠 日田 下毛郡などが植林面積も広く、樹種も杉が多かった。35年、日田町に 県立農林学校 が、40年には 日田郡立工芸学校 が創設された。ともに、現在の県立 日田林工高校 である。 日露戦争 前後に設立されたこの学校は、林業振興と豊富な森林資源を利用した地場産業の育成を目的としたもので、日田杉の産地にふさわしいものであった。日清 日露の2つの戦争は、木材の高価をよび、植林熱は一段と高まった。39年に大分県が実施した「著名ナ山林所有者」の調査(県立大分図書館蔵)には、県内7郡で22人の 山林地主 が報告されている。うち12人が日田郡で、所有面積は合計2,500町歩である。日田地方の大山林地主の形成過程は、『日田林業発達史』によると、@江戸中期から明治前期にかけて、 掛屋(かけや) (幕府 諸藩の公金出納を担当した町人)が集積したもの。A明治に入って台頭した日田や県外の高利貸し資本家や商業資本家によるもの。B天領時代から勢力のあった庄屋や地主たちで、 地租改正 時に農民が放棄した山林や、それまで世話をしていた山林を囲い込んだもの、などである。大正3年(1914)にはじまる 第一次世界大戦 は、造船ブームとなり木材の需要が拡大した。4年には1,020石であった日田地方の民有林の杉の伐採が、6年には3倍の3,090石、8年には6倍の6,140石と飛躍的に伸びた。植林もさかんになり、日田郡内で生産される杉の苗木も4年には65万本、6年には82万本となった。こうした植林に熱心だったのは、山林地主や木材業者たちで、500町歩をこす大山林地主が出現した。大日本山林会の『造林功労者事績』には、日田地方だけで13人の功労者の名がある。戦後の農地改革は、山林を対象としなかった。そのため山林地主の多くは、そのまま残った。
〈筏流しから陸上輸送へ〉
 山間部の日田地方は道路事情が悪く、伐採した木材を日田へ運ぶのに岩石の多い小河川を頼った。日田から久留米方面への搬出も、 三隈(みくま)川 筑後川 に頼った。木材の三方を削り板角丸太にして筏に組み川を下した。大正3年に設立された 日田郡木竹商同業組合 の設立時の予算には、 筏(いかだ)流しのための川 浚(さら)い人夫100人分、50円が計上されている。筑後川の架橋や 井堰(いせき)の工事や、 女子畑(おなごはた)発電所 (天瀬町)の取水のため渇水がひどくなり流材が困難になることもあった。大正5年の筑後軌道の開通、昭和7年の 久大線 の開通によって、汽車輸送、トラック輸送が増加したが、戦後の20年代には年間15万石から25万石の木材が筏流しで筑後川を下っていた。筏流しが姿を消したのは、29年 夜明ダム の完成によってである。26年に始まる林道整備5か年計画と、その後の林道整備事業によって、日田地方の林道の整備はすすみ、トラック輸送が主流となった。60年には スーパー林道 奥日田線が開通した。
〈木材不況のなかで〉
 林業は、植林から伐採まで長い年月を必要とする。しかも、地ごしらえ、植樹、下刈り、枝打ちと長期間にわたって多くの労力と資本の投入を要する。 高度経済成長 は、山林労働力の流出をもたらし、外材の流入や木造家屋建設の落ち込みなどによる木材需要の減退や木材価格の低迷は、林業に生きる地方の社会経済の衰退をもたらした。日田杉の生きる道もけわしい。
[佐藤 節]

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