宮座 ( みやざ)
民主化の波にのまれる
〈宮座の起源〉
神事執行について、氏子内部で独占的機能をもつ集団が宮座である。県内では宮座の構成員を、 六所権現 (国東町岩戸寺)では 神人(じにん) 、 大神峰(おおがみね)神社 (別府市 内成(うちなり))では 神家(じんが) と呼ぶが、ジガンと呼ぶ例が多く当て字は多様である。 貴船(きふね)神社 (三光村臼木)では神願、 白鬚田原(しらひげたわら)神社 (大田村 沓掛(くつかけ)) 山神社 ( 安岐(あき)町諸田) 七所神社 (三光村佐知)では神元、 真玉八幡社 (真玉町真玉) 城井(きい)八幡社 ( 耶馬渓(やばけい)町平田)では神官、 大野八幡社 (同町大野)では仕官、 武多都(たけたづ)神社 (国見町 竹田津(たけたづ))では地官、 若宮八幡社 (大田村永松)では侍官である。
武多都神社の地官は、熊野権現勧請の際、迎えに出た代表の子孫と伝えるが、地官座の結成は不明である。下毛郡では、貴船神社は天和2年(1682)に神田を設定し、神事と神願座を始めている。城井八幡社では、貞享年間(1684〜88)に神官座が結成されている。その経緯については、旧領主 野仲氏 が霜月祭りの費用を支出していた。しかし、黒田領になってからは課役が多く、領主の崇敬も弱く、氏子が多額の費用を負担しかねて、慶長初年以後は 閏(うるう)年に神事をした。そこで野仲氏の末葉である 野仲甚左衛門 など、26家の神官が中心になって毎年の祭りを復活した。以上のように、宮座が中世に存在したことを証する文献がないので、幕藩体制確立期に宮座の再編成が行われたのか、あるいは創設であったのかは不明である。
〈宮座の構成と役割〉
多くの神社では、ジガンは祭りのための神社の清掃や、供饌を主要な任務としている。次にジガンの構成を含めて若干の事例を紹介する。山神社の神元組は、上組 中組 下組の3組に分かれている。明治35年ころまでは、夏祭りと冬祭りを分担する二つの神元組に分かれ、12戸ずつのうち1戸が交代で祭り座を営む座元となった。座元は御供田を耕作し、その収穫米で赤飯を炊き、打御供や三符薦を作った。冬祭りの座元はさらに甘酒 濁酒を醸造した。3組が二つの神元組に分かれるのは、上組を中心とする夏祭りをした集落と、下組を中心とする冬祭りをした集落とが、一つに合併したものと推測される。武多都神社でも、8軒の地官の最も重要な任務は、御供炊きなどの供饌に関することである。
大野八幡社には、上堀 下堀 小長谷 大野 釜土 大佐古の6組があり、仕官は各組に3軒ずつである。組単位に元方を1年ずつ務め、頭役 オスケ(補助者)などを出す。元方は神田の小作米で7日前より甘酒を醸造する。霜月祭りは、現在は11月30日から12月2日までの3日間である。祭りの初日に神社の清掃をし、祭り座の直会で ツウ(頭)渡し をする。七所神社の神元は株ごとの本家で、11組22名である。座役順は帳面に記してあり、夏祭りと冬祭りごとに1名ずつが座役を務める。座役は神社の清掃、 注連縄(しめなわ)張りや 幟(のぼり)立て、定められた献備などをする。座役宅での祭り座で頭渡しをする。
若宮八幡社では、17軒の侍官からくじで選ばれた祝元1名と、宮役3名が神事を執行している。旧暦9月の秋祭り(現在は新11月)は、13日オハケ立て、14日潮掻き、16日内役の座、18日トウゴウ上げ、19日お供え上げ、20日お日待ち、21日オハケ倒し 板敷払いと9日間にわたる。重要なのは16日の内役の座で、次年度の祝元 宮役を選び、頭屋渡しであるトウゴウ渡し 御種渡しをする。トウゴウ渡しは祝元を次の人に渡す世渡しであり、御種渡しは宮座所有の神田の 籾(もみ)種を渡す行事である。近世の神職制度の発達や、明治以後の神社の制度的規制によって、神事の執行が宮座から離れた場合が多い。若宮八幡社の とうや行事 は、国から記録作成に選択されたように、侍官が重要な役割を果たしている。
前記以外の神社の判明する当初のジガン数は、真玉八幡社8、大神峰神社15、六所神社21、貴船神社23であった。国東半島の宮座では、下毛郡に比べて、物忌みや潔斎の厳しいことが特色である。例えば、山神社の座元は御供田の耕作にあたって、収穫までの一切の農作業に女性の関与を禁じ、祭りまでの7日間は不浄を忌んだ。また、武多都神社の地官には別火小屋を設けていた例があった。
〈衰亡する宮座〉
七所神社の神元座は、宝暦年間(1751〜63)に株の本末を 糺(ただ)している。拝殿改築の際、 人気(ひとけ)のある分家が神元を退け、世話が行き届かなくなったためである。明治以後も補強に努めて来たが、昭和43年に多数決で廃絶した。大野八幡社では、仕官座のほかに氏子座が結成され、明治時代末に一本化した。宮座が継続している場合でも、絶家や転出で座人の減少が見られる。宮座は、民主化の伸展や信仰心の衰退で危機に 瀕(ひん)している現状である。
[染矢 多喜男]
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