大分の古代美術

塑像三尊仏像残決 三躯




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塑像三尊仏像残決 三躯
宇佐市大字黒村字新尺寺 天福寺
塑造
中尊 51.8cm 左脇侍78.0cm
右脇侍84.1cm(各塑土残存部で)
奈良時代(8世紀)
重要文化財

この塑像<そぞう>三躯は天福寺<てんぷくじ>背後の小高い山上の自然窟内に構えた奥院<おくのいん>と称する木造小堂内に七十数躰に及ぶ平安時代の破損木彫群と共に伝わったものである。
 三躰いずれも損傷甚しく、頭部や手足を欠いているが、その大きさや二菩薩像の対応する形制から、等身大の如来坐像とその両脇からなる三尊一具の像とみて誤りない。
 各榧材<かやざい>と思われる角材を十字形に組んで心木とし、これに藁縄を巻きつけ、その上に藁?<わらすさ>を混ぜた荒土を盛上げ、さらに部分的に縄を巻いて概形をつくり、紙?や雲母<きら>を混えた細かい上土を薄く着せて仕上げている。
 中尊像は左手上膊部を含んだ胴体部と右大腿部を残すのみで、その仕上げ土もほとんど脱落しているが、左肩から右腹部にかかる納衣<のうえ>の縁や胸の隆起が辛うじてうかがえる。
 これに比べ、両脇侍像の残存部は保存が良く、表面には漆箔あるいは彩色のための漆下地まで僅かに残っている。
 両菩薩はともに腰を強く捻った動きのあるしかも充実した姿態を示し、豊かな腰から大腿部をおおう裳<も>の扱いも自然で、柔かい布畠の質感まで表わす巧みなヘラ使いに洗練された造形感覚が認められる。その作風は奈良時代の捻塑像、例えば法隆寺伝法堂の木心乾漆<もくしんかんしつ>阿弥陀三尊像の両脇侍像と相近く、本三尊像もほぼ同じ頃、つまり八世紀後半の制作と推定される。
 奈良時代の塑像の遺品はきわめて稀で、それもほとんど奈良に集中しており、九州では筑紫観世音寺の木造不空羂索観音<ふくうけんじゃくかんのん>立像の像内から発見された塑像断片が知られるのみであり、本三尊像ばかりか、我国に残るこの種塑像三尊像の唯一の作例として、九州仏教美術史上、また古代宇佐文化を考える上でも実に貴重な遺品といえる。
(松島 健)

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