| 大分の古代美術 | |
![]() 木造薬師如来坐像 ![]() (拡大:写真をクリック) |
木造薬師如来坐像 一躯 |
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東国東郡国見町大字櫛海 万福寺
榧 一木造 彫眼 彩色 像高71.0cm 平安時代末期 県指定文化財 | |
| 万福寺はもと天台宗に属し、千燈寺の末寺であったが、王永年間(一三九四−一四二七)に曹洞宗に改宗された。国東半島の先端から約二kmほど山間部に入った村落にある。通常の農家と余り変わらない外観は、いかにもこの地方らしいひなびた寺である。この寺に薬師如来の古像がある。頭部から躯幹部と両手前腕の半ばまでを含めて、榧<かや>の一材から木取する。これに別材で彫成した両足部を矧ぎ寄せ、両手先を丸柄<まるほぞ>で前腕に差し込んだ構造である。肉髻はやや小ぶりであるが、高く彫り、大粒の螺髪<らほつ>はよくそろっている。髪際はほぼ水平に整い、頬の豊かに張るお顔は、穏やかで童顔に似て愛らしさがあふれる。肩は案外に張り、膝も厚いが、膝張りは少ない。 衣文の彫りには簡略化が見られる。衣のひだは溝<みぞ>状に刻むが、ひだとひだの間には小さく隆起を見せる。これはいわゆる貞観<じょうがん>彫刻にみられる飜波<ほんぱ>の彫法を踏襲しているものである。特に膝のひだを平行楕円曲線に表わしているのが目につく。これは奈良元興寺や、京都神護寺薬師如来像など九世紀仏像の大腿部のひだの表現にみられるものと同様なものであるが、それを、著しく形式化したものである。八世紀末唐招提寺旧講堂如来立像に始まり、九世紀に盛んに行なわれた様式が地方に伝わり、その終末を示す資料としても興味深いものがある。しかしながら左肩を覆う衣の端の折り返しの軽妙な彫法などには、地方仏師の創意工夫の跡が見られる。彩色はわずかに白下地を残す他は、ほとんど剥落している。 両手先を欠失するため、印相が明らかではないが、現状の肘の位置から、右手施無畏<せむい>、左手与願印<よがんいん>であることがわかる。古記録にも表れず確かではないが、寺伝では薬師如来像としている。総体的に形式化が明らかであるが、いかにも地方作らしい素朴さの中に、どっしりと落着を示す特色ある作である。制作年代は平安末期と推測される。 (岩男 順) | |
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