大分の古代美術

不動明王 阿弥陀如来 薬師如来

木造薬師如来坐像

木造阿弥陀如来坐像



木造不動明王坐像


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龍岩寺木彫群
木造薬師如来坐像 一躯
木造阿弥陀如来坐像 一躯
木造不動明王坐像 一躯

 宇佐郡院内町大字大門 龍岩寺
 樟 一木造 素地
 像高 薬師如来像 303.0cm
    阿弥陀如来像293.0cm
    不動明王像 283.0cm
平安時代後期(12世紀)
重要文化財

 院内町大門の県道から谷間の道をしばらく登ると行き止りに龍岩寺奥院礼堂<りゅうがんじおくのいんらいどう>(重要文化財)がある。堂は巌窟を抱き込んで左右の斜面に両端をかけ、谷となる中央部を懸崖造<けんがいつくり>とし、船肘木<ふなひじき>で支えられるゆるい勾配の板葺屋根をかけ、床の前面には勾欄<こうらん>をめぐらす優美軽快な和風の礼堂である。棟礼に「奉修造岩屋堂一宇」「弘安九年歳次丙戌二月廿六日」とあり、1286年に建立されたことがわかる。おそらく平安時代に造られた堂宇の規模・様式に倣って再建されたものと考えられる。
 堂はいわゆる外陣<げじん>に相当する部分のみで、内部に入ると板貼りの床で内陣<ないじん>に当る部分との境には低い勾欄がめぐらされ、その中に岩のゴツゴツした巌窟をバックにして礼堂より丈が高いかと思われる巨像が三躯安置されている。阿弥陀如来像を中央に、向って右に薬師如来<やくしにょらい>像、左に不動明王<ふどうみょうおう>像を安置する。これらの仏体は元々素地仕上げであったと考えられるが、現状は樹々の花粉が付着したものや乾性の菌糸類のために灰白色を呈し、肌の細かい木目に沿った干割がなければ石仏かと見まごうばかりである。
 阿弥陀・薬師・不動を三尊とする組み合わせは他に例がほとんどなく、当地方の天台修験と民間信仰の複雑な結び付きによる造像と考えられる。阿弥陀如来像は平安時代後期に盛行した浄土信仰に基づく本尊で、来世において極楽浄土に往生することを祈念したものと思われる。薬師如来像は現世に於る無病息災を祈る対象である。
 一方不動明王像は如来の教令輪身<きょうりょうりんしん>として悪を断じて善を修し、その智慧をもって人々うぃ成仏させる本誓があり、恐らく天台系の修験道の影響で造像されたと考えられる。難解な教義はともかくとして人々の安穏を願う気持のあらわれと考えるべきであろう。
 三尊共にいわゆる丈六(坐像で八尺)をはるかに超える約3mの巨像で、狭い堂内では視線を動かさなければ拝することができない。像のプロモーションは堂内で見るとまとまりの良い様に思われるが、各部を計測したり、本像の修理時のように礼堂という極限された視覚的な枠から解放して、離れた位置から見ると頭部が極端に大きく、それに反して躰部を小さくまとめ、両足部は張りも厚味も大きく造形していることに気付く。髪際から顎の長さと面幅の比率はやや面長に感じる程度で一般の像とさ程異ならないが、如来像では頭髪部を異常に高く彫出している。これは当初から狭い堂内で近視眼的に像を拝することを念頭においた工夫と思われ、両足部を厚く大きく表現するのも、拝者の眼下の位置にあることを計算したと考えられる。そのような見方をすると、本三尊の作者が視覚的な合理性の上に各部の寸法を割出した工夫の跡が理解される。
 像は木彫でありながら、その質感と立体としての微妙な凹凸部起伏を否定した彫り口で、あたかも磨崖物のように概形のみを明確に刻む手法を示している。この手法は木彫としては小作り仕上げに至る以前で像を完成させたように思え作者を当地方の石造仏師に擬することもできよう。
 木取りの法にしても三mに及ぶ巨像にも拘らず樟<くす>の大木を用いた一木造<いちぼくづくり>で後頭部と背面から内刳<うちぐ>りを行って蓋板を当て、手は各肩・臂・手首で矧<は>いで、横木一材から彫出する両足部と膝奥の三角材を矧寄せる簡潔で大づかみな木寄せ法を用いており、部分的には榧<かや>材も併用している。
 三尊の彫技には各々微妙な差異が認められ同一作者とは言いがたいが、同じ工房の制作とすることには異論はないであろう。製作の時期は穏やかな作風から一二世紀前半と考えられる。
【薬師如来像】
 三尊中最大の像で、髪際をことさらに深く段をつけて刻み、螺髪<らほつ>を作らない頭部は帽子でもかぶったかのような感を与える。肉髻<にくけい>部の下方にはっきりと一段帯状のものをめぐらせる意図は不明であるが、或いは吉祥薬師<きっしょうやくし>等異形像を目指したかも知れない。半円形に近い眉に、全体がゆるい凹形を示す眼を刻み、上唇は中央が切れ込んだ山形に作り、下唇を厚く表現して口角を心持ち吊り上げる表情に特色がある。左手に持つ薬壺<やくこ>は均世の補作である。
【阿弥陀如来像】
 定印<じょういん>を結んで結跏趺坐<けっかふざ>する姿で、肩の張りも適度にあって安定はよい。頭部の造りは薬師如来像とほぼ同様であるが、肉髻部はやや低い椀形を示している。耳は螺髪<らほつ>を作らない頭髪にめり込んだように彫り刻む耳朶<じだ>を長く表わしている。眉は弓なりで、やや眦<まなじり>の下る眼は下瞼を一段落して刻むため視線がかなり近い下方に向いて、優しく、見えるのも中尊であることを意識したためであろうか。鼻が大きく口元が小ぶりであるのも薬師如来像とは異なる。
【不動明王像】
 不動明王像の頭髪は、太い数条の髪筋を束ねた総髪か、各々が渦を巻く巻髪に表わすのが常であるが、本像は髪際をいわゆる富士額にしてこんもりと髪部をも盛上げるのみである。その方法は京都・醍醐寺の五大明王像中の不動明王に近い。左眼を眇<すが>め、右眼を見開いて牙を上下に出す形であるが、右眼は眼球を大きく盛上げるだけで瞼の輪郭を刻まないやり方で、石仏の表現に通じる。眉根を寄せた忿怒の形相も誇張に走らぬ穏やかさがあり平安時代後期の特色をよく示している。持物の剣と索は後補である。
(鷲塚 泰光)
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