大分の古代美術




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天福寺の木彫群
宇佐市大字黒村字新尺寺 天福寺奥院
木造 素地(現状)
平安時代後期(11〜12世紀)

 宇佐市黒村の天福寺<てんぷくじ>は臨済宗妙心寺派に属す寺で、その創建は建長年間とされている。この里坊から急な坂道を登った参上近くに南面した巌窟はあって、“耆闍窟<きしゃくつ(又は紫舎<ししゃ>窟)>”と呼ばれ、天福寺の院と称されている。中央の室は厨子内に像高一四五.五cmの一木造<いちぼくつくり>の不動明王が本尊差として祀られ、左右の室には木彫群が処狭しと並べられている。その数は山下の里に降ろされたものもあって明確ではないが、調査時には神像二躰を混えて計五七躯を数えた。
 岩窟は修験の行場的な雰囲気もあって、本尊の不動明王像と数躰は当初から安置されていたかも知れないが、大部分は数世他の堂宇から移されたと考えられる。像の大きさも、大は一六四.三cmから小は二九.五cmと様々で、いずれも朽損がかなり甚しい。材料は檜<ひのき>材が中心で、中には榧<かや>を用いたものもある。いずれも一木造で、わずかに手首を剥<は>ぎ、内刳<うちぐ>りもほとんど行っていない。
 面相部はいずれもふっくらとした下ぶくれに造り躰部の肉付けもたっぷりとしており、一一世紀から一二世紀にかけて当地方で造像されたことを物語っている。
 宇佐市大字下麻生の禅源寺に伝わる文書の中に『年代記録』という一冊があって、その永久元年(1133)の条に「秋八月ヨリ九月ニ至テ不動堂建号紫舎窟山天福寺知原竹下二氏ニ慶ス不動八十八佛ハ人門作ト云々」とあるのが注目される。この資料は後背の書写ではあるが、本尊の作風から考えると永久元年の創建ということは年代的に矛盾せず、里坊に先立って当窟が開かれたものと思われる。別記の塑像断片三躰も近年まではこの左側の室に安置されていたものである。尚人門<じんもん>(仁聞)菩薩の造像は当地方特有のもので伝承の域を出ない。
(鷲塚 泰光)
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