大分の古代美術

木造吉祥天立像



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木造吉祥天立像
宇佐市大字黒村字新尺寺 天福寺奥院
檜 一木造 彩色(現状素地)
像高67.0〜86.5cm
平安時代

 吉祥天はインドの古代神話に登場するラクシミーのことでヴィシュヌの妃となったとされる。後に仏教に取り入れられてからは福徳円満、助災増益<じょさいぞうやく>を司<つかさど>る女神として信仰され、金光明最勝王経会<こんこうみょうさいしょうおうきょうえ>や吉祥侮過会<きっしょうけかえ>の本尊として祀られ、わが国でもすでに奈良時代から画像や彫像が造られている。
 天福寺の木彫群の中に八件の遺品を数えるのは注目すべきであるが、かくも多く吉祥天像が造られた理由については明確にすることができない。
 その形は唐代の貴婦人の姿に倣ったものが多く、木像もその形式を踏襲している。頭頂に髻<もとどり>を結い(二躯はその前に頭飾を付ける)、髪は肩と背に垂し、着衣は一番下に筒袖の襯衣<しんい>を着け、その上に広袖の長袂衣<ちょうけつい>を重ね、上半身には括<くくり>袖の<がいとう>衣をはおって腰上の位置で帯を結び、上に背子<はいし>風のものをかける姿で、腰部から下の両足中央には両側に山形の突起をつけた蔽膝<へいしつ>を垂れている。現在裾部が朽損・欠失していて裳を付けたかどうか明らかではない。二躯は左手を屈臂して右手を下げ、一躯はこれと左右逆の形に作り、曲げた手には宝珠を乗せ、他は与願印であったと思われる。
 三躯共檜<ひのき>材の一木造りで内刳<うちぐ>りも行わず、わずかに手先を矧<は>ぐ構造である。現状素地を呈しているがもとは彩色されていたと考えられる。
 総体に彫りは素朴で、表情も小ぶりの目鼻立ちを顔の中央部に小ぢんまりと残く刻み、そのために頬の肉付けがたっぷりとして見える。躰部の肉取りも抑揚は乏しいが堂々としており、製作の時期は一一世紀と考えてよかろう。右手を上げる像が衣を砂袵<さじん>に作るのは大陸の古制によったものかと創造される。
(鷲塚 泰光)
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