| 大分の古代美術 | |
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銅像釈迦如来坐像 一躯 |
| 東国東郡安岐町西本 梅友庵 鋳銅 鍍金 像高27.2cm 平安時代末期 県指定文化財 | |
| 正徳元年(1711)に杵築藩諏訪拙斎が著した『閑居口号<かんきょこうごう>』に、「西本村の上山の中腹に福寿大山大儀寺末の梅友庵という古跡がある。萱堂一棟と草庵であるが、本堂に上って見ると、本尊は高さ一尺ほどの金銅釈迦如来像である両脇に騎坐する普賢像があった。この二菩薩は石体であった」という内容の記録がある。 梅友庵は明治三〇年(1897)ころ、取り壊され、これらの像は附近の小堂に合祀された。後に本尊のみが個人宅に移されていた。これを有志一同が相謀り、明治40年(1907)に梅友山の一角に石祠を建て、中に移し現在まで祭っていたものである。 釈迦如来像は小像であるが、肉髻は大ぶり。螺髪の刻出がなく、額の髪の生え際は深く水平に刻みこみ、龍岩寺の丈六釈迦、阿弥陀像に共通する。切れ長の目はやや釣り上り、顎のつまった丸いお顔に特色がある。首に三道<さんどう>があり、右手施無畏<せむい>、左手与願<よがん>の印をあらわし衣文の掘り浅く、衣文線は流暢。鍍金の跡はわずかに腹部の衣ひだに認められるが、大部はほとんど剥落している。像内は空洞となり、なかごの安定に用いたこうがいが一本残る。像底の後<うしろ>二分の一を、同鋳の底板がおおっているのは珍らしい。本像は蝋型原型による鋳造ではなく、頭部両側耳を通る線で頭躰主体部を前後の合せ鋳型から鋳造し、両手も夫々合せ型で別鋳したものを継いで造ったものである。原型は土か木か明らかではない。なお、一度火中した形跡がある。小像ながらよく整っており、切り長の目に神秘的な印象が深い。 恐らく安岐郷附近の六郷山いずれかの神社の本地仏として、造られたものと思われるが、明らかではない。 県内には、平安時代の銅像仏像として、確認されたものは他に無く、極めて貴重な遺品である。 (岩男 順) | |
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