大分の古代美術





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木造仏像(寺伝弥勒菩薩坐像) 一躯
宇佐市大字南宇佐 大楽寺
檜 寄木造 現状素地
像高137.9cm
平安時代後期(12世紀)
重要文化財
本寺境内にある弥勒<みろく>堂の本尊として祀られる半丈六の如来形坐像で、寺では弥勒菩薩と称している。
 本像のような左手を膝前に伏せた印相は触地<そくち>印あるいは降魔<ごうま>印といって、本来、釈迦<しゃか>が菩提樹<ぼだいじゅ>下に四魔を降伏して悟りを開いた時の姿であるが、『弥勒菩薩図像集』に記される山城国鳥部寺の丈六弥勒像の他、『覚禅妙』にいう治安二年(一〇二二)に仏師康尚が造立した関寺の弥勒仏もこれと同形の像であったようで、弥勒仏が釈尊の遺鉢を継ぐ当来<とうらい>仏であるが故に、その造像の際に釈尊と同じ印相がとられたものと考えられる。
 しかし、本尊の左手は、昭和三四年の修理時にそれまで掌を仰いだ与願印<よがんいん>を寺伝名称に従ってあらためたもので、本来、弥勒仏として造立されたかどうか定かではない。むしろ、本尊と三尊一具同作とみられる脇侍の二菩薩立像が日光・月光<にっこう・がっこう>と呼ばれていることから考えると、薬師如来<やくしにょらい>像である可能性もあることを指摘しておく。
 像は檜材の寄木造<よせぎづくり>で、現状、ほとんど素地を露しているが、もとは漆箔像であったと思われる。ふくよかな面相や姿態、薄く整理の行き届いた衣文など平安時代の和様を基調とした都風作例で、全体に末期的な定型化が著しいが、大作を無難にまとめあげた手腕を賞すべきであろう。
 医王山大楽寺は宇佐大宮司宇佐公連が西大寺道密を開山に招き、元弘三年(一三三三)、後醍醐天王の勅願寺として創建したと伝えるが、本寺開創時より遥かに遡る本像の由来について語る史料はない。
 おそらく、宇佐八幡宮に属するいずれかの寺院から移安されたものであろう。
 なお、光背及台座は享保二年(一七一七)の修理時の補作である。
(松島 健)
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