大分の古代美術

持国天



増長天



多聞天



広目天


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木造四天王像 四躯
宇佐市大字南宇佐 大楽寺
檜 寄木造 彩色
像高 持国天140.5cm
   増長天134.8cm
   広目天133.6cm
   多聞天131.3cm
平安時代後期(12世紀)
重要文化財
本寺弥勒堂の本尊弥勒如来像の四方に安置される四天王像である。
 いずれも檜<ひのき>材を用いた寄木造、彫眼の像でもとは彩色像であったと思われる。
 左手に戟を執り、拳をつくった右手を腰脇に構える持国天像と、左手腰脇で剣を執り右手を振りあげる増長天像はともにその動勢に無理がなく、顔面の入念な筋肉描写にも共通した巧技が認められ、二躯同作であることは明らかである。この両像に比べると左手に経巻、右手に筆を持つ広目天のややぎこちない躰勢あるいは左手に戟、右手に宝塔を捧げ持つ多聞天の腰高の軽快な下半身の造形などの作風に若干の相違が認められ、中でも、広目天の稚拙な面貌表現に対して、開口怒号する増長天の顔面筋肉の写実的な描写は全くの異質の造形感覚に基くものといってよい。しかし、こうした作風の違いも、四躰一具としてのまとまりを欠く程のものではなく、担当仏師の技倆の差に帰すべきであろう。制作は一二世紀末とも考えられる。
 この四天王像の伝来もいま明らかにし難いが、本尊伝弥勒菩薩三尊像とはほぼ同じ頃の制作であり、持国天や増長天像の堅実な彫技と三尊像の手慣れた造像技法とは一脈相通じるところがあったとも考えられる。
 いずれにせよ、本四天王像を含めて当寺弥勒堂に伝存する平安後期の諸像は、当代における宇佐八幡を中心とする仏所組織の存在をも示唆する仏像群としての、存在意識もみのがせない。
 なお、各尊の持物や台座はすべて後補で、これらも享保修理時のものかと思われる。
(松島 健)
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