大分の古代美術



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著色四天柱諸尊曼荼羅図
豊後高田市大字蕗 富貴寺
著色
115cm(周囲)×248.5cm
平安時代後期
重要文化財
四天柱<してんばしら>は比較的保存のよい後方の柱に依ってみると、三段に分け、上段は頭光<ずこう>を付けた菩薩形八躰を上下に並列して描き、次に宝相華文<ほうそうげもん>で区界し、身光、頭光をつけた如来形一躰を中心にその両側に同じく身光、頭光をつけた菩薩形二躰を配している。次は三昧耶形<さんまやぎょう>で区界し、五躰の菩薩形を描き、宝相華文で区界しているとと考えられる。後方も中段以下は殆ど剥落しているが、前方の柱二本は更に甚だしく、上段で五躰の仏躰が描かれていたことが確認されるに止まる。恐らく全体では七十躰を超えるような仏、菩薩が描かれていたと推量され、密教の曼荼羅<まんだら>として一つの纏<まとま>った意義を有していたと考えられる。
 阿弥陀堂の四天柱に金胎両部曼荼羅<こんたいりょうぶまんだら>を描いた例としては保延二年(一一二六)建立の京都鳥羽勝光院がある。大堂の四天柱の諸尊はそれと確認は出来ないが、このような堂内荘厳の構想を継承しているかもしれない。
(渡辺 明義)
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