大分の古代美術







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木造聖観音立像 一躯
宇佐市大字松崎 光明寺
檜 一木造 彫眼
像高97cm(後補の宝髻頂を除く)
平安時代末期〜鎌倉時代初期
県指定文化財
光明寺は宇佐市と豊後高田市との境を流れる寄藻<よりも>川の川口に近い松崎地区にある。康暦二年(一三八〇)に国東町横手の曹洞宗泉福寺開祖無著妙融を中興とした寺であるが、これ以前は天台宗の古寺であったといわれる。
 当寺に聖観音菩薩立像一躯が伝わる。檜<ひのき>材を用いた一木造で、現在は後補の金泥に覆われているが、もとは漆箔か彩色像であったものと思われる。
 手法は先ず頭部から躯幹部、足柄<あしほぞ>にいたるまでを一材から彫成する。その後、肩の下あたりから左右の裾の最外側を通し、像底にいたるまでを、縦一枚に割り放ち、躯幹部に内刳りを施す。この後、頭首部を三道より少し下で、躯幹から割り放ち、耳の後を縦線で前後に割り、内刳りを施す。
 頭首部を合わせ、さし首とし。躯幹部も前後を矧ぐ。両腕は肩の丸柄でさし止める。宝髻の頂き、鼻の先端、両手臂<ひじ>から先、右足先、第一指を除く左足先などは後補である。
 瞼<まぶた>厚く、伏せ目のお顔は円満。胸は広く厚いが胴は細く締<しま>る。腰幅広く豊かな量の表現が、足元に向かって急にすぼまっている。頭・体部を通して、前後の厚みも深い。衣文の彫りは浅いが、適当に抑揚もあり、衣端の軽妙な折り返しが美しく整い、藤原様式の優雅さがよく表れている。
 一木造りであるが、いわゆる割り矧ぎ造りの手法とも異なり、独特の珍しい手法を示している。
 現在は後補の暑い金泥に覆われているので、細部にわたる技法を、精しく見ることができないが、衣文の流麗な手法や、引き締った量感の表現は、凡作ではない。ただ、豊かな腰部から急に足元に向かってすぼまる作風は、やや不安定なものがある。この為に両膝から下に硬さが見られる。これらは、恐らく制作年代の下降を示すものであろう。
 従って一二世紀は半ば、即ち平安末期から鎌倉初頭の間の作と推測される。
(岩男 順)
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