| 大分の古代美術 | |
![]() ![]() (拡大:写真をクリック) |
木造阿弥陀如来坐像 一躯 |
| 豊後高田市大字真中 真木区 檜 寄木造 彩色及び漆箔 像高216cm 平安時代後期(12世紀) 重要文化財 | |
| 平安後期、仏像彫刻の遺品は全国に分布している。その多くはそれぞれの土地に工房を持つ地方仏師達の手になったものと思われ、技法的にいえば古式の一木造<いちぼくづくり>を基本とし、その作風は地方風ともいうべき素朴なものが多い。しかし中には、都風の洗練された典雅な作風のものも遺されていて、中央の文化が地方へ普及して行った有様をかいまみることも出来る。大分県では。宇佐大楽寺<だいらくじ>の諸仏、富貴寺<ふきじ>の阿弥陀堂やその本尊である阿弥陀如来<あみだにょらい>坐像、そして真木大堂<まきのおおどう>に遺される諸像など、11世紀末乃至12世紀と考えられる諸作例がその典型的なものといえるであろう。 真木大堂はいまこの地に藁葺<わらぶ>きの素朴な堂一宇を残すだけであるが、もと馬城山伝乗寺<まきざんでんじょうじ>と称し、16世紀中葉頃には、三十六坊を備えたこの地方での屈指の大寺であったらしい。天保一二年(1814)に完成した『太宰管内志<だざいかんないし>』の豊後伝乗寺の項をみると、当時すでにこの寺は本堂のみとなり、そこに不動明王<ふどうみょうおう>と大威徳明王像が共に安置されていたことがわかる。現在ここには丈六の阿弥陀如来坐像、四天王立像、不動明王及二童子立像、大威徳明王騎牛像の九躰が遺されている。すべたが同時同工房の製作ではなく、作風にも相違があるので、他の堂または近傍の他の寺(例えば『太宰管内志』に記す十恩寺など)からここに移座されたものも混じっているのであろう。しかしいずれも巨像であり、この地にかなりの大寺が存在していたことは確かであろう。 本尊の阿弥陀如来像は両手の第一、二指を捻じ、左は膝上に、右は掌を前に向けて、いわゆる来迎印<らいごういん>を示す丈六の坐像である。檜<ひのき>材の寄木造<よせきづくり>で、左肩から裾に至る躰側部、右腿の付根、両膝部(横二材)などを矧ぎ、右腕は肩、臂および手首矧ぎとする通行の木寄せ法によっているが、頭躰根幹材の木寄せは明らかではない。打診してみると内刳<うちぐ>りの肉はかなり厚いと判断され、多分、前後二材矧ぎ程度の簡略な木寄せになるものと推定される。全面布貼硬地<ぜんめんぬのばりかたじ>による地固めが施され、肉身は漆箔、頭髪は群青<ぐんじょう>、納衣<のうえ>には朱が塗られているが、これら彩色はすべて後世の補彩であり、また現在の光背と台座も後補である。 像は平安後期の阿弥陀如来坐像に共通する均整のとれたおだやかな作風を示すが、螺髪<らほつ>の粒がやや荒く、両頬には張りあり、躰部は肩巾も広く堂々とした姿を示し、古様がみられる。しかし両膝をうすくまとめ、衣文<えもん>も浅く流れるように刻み出す所などに、都における一一世紀後半の定朝様<じょうちょうよう>の影響が明らかにみられるので、その製作は、一二世紀と考えてよいであろう。この地方での平安木彫像中でも注目される大作である。 (西川 杏太郎) | |
| 戻る | |