大分の古代美術

矜羯羅童子



迦童子



(拡大:写真をクリック)
木造不動明王二童子立像 三躯のうち
矜羯羅童子・制迦童子像
豊後高田市大字真中 真木区
檜 寄木造 彩色
像高 矜羯羅童子126.5cm
   制迦童子130.2cm
平安時代末期〜鎌倉時代初期(12世紀後半)
重要文化財
不動明王には眷属<けんぞく>として八大童子が付属することがある。高野山金剛峰寺<こんごうぶじ>の本尊不動明王坐像(平安後期、重要文化財)に随侍する八大童子像(運慶<うんけい>作、鎌倉初期、国宝)などはその典型的な遺例である。しかしこの八大童子像のうちに矜羯羅<こんがら>童子、制迦<せいたか>童子の二童子だけが不動明王の両脇侍として造られ不動三尊の形式に造る例が多い。本像もその一例である。
 この二童子像はいずれも上半身に条帛<じょうはく>をかけ裳<も>を著け、左脇侍である矜羯羅童子像は、裳をたくし上げた右膝頭をゆるめ、上体をやや中尊側に傾けて静かに合掌し、つぶらな瞳が中尊を仰ぎ見るような姿を示し、一方右脇侍の制迦童子像は口をきつく結び、眼をやや伏せ、上体を右に傾けて棍棒を下げる右腕に左手を添え、動き出そうとするかの一瞬をとらえた姿に造られる。いずれも中尊と同様、彫技は実に手慣れたもので、肉付けにも童子らしい張りがあり、二童子の静と動の微妙な相違を対照的に鮮やかに刻み分けている。不動像と細部の刀技や形体のまとめ方を比較してみると、やや相違があるので、作者が異なるかとも思われるが、ここにも平安末期の都風の洗練された様式の踏襲が感じられる。不動明王像と同様、一具像としてその製作を一二世紀後半においてよいであろう。
 この二童子像は檜<ひのき>材を用いている。
 矜羯羅童子像は、頭躰の根幹材は前後二材矧<は>ぎとし、内刳りを施している。明らかではないが、この前後の二材は、すべて一木から木取りしたものを前後に割り矧ぎした可能性もある。これに両腕の肩、臂、手首(合掌する両手は共木一材)矧ぎとし両足先を矧いでいる。以上の矧木<はぎき>のうち、両手の前膊部と、両足先は後補である。制迦童子像は、頭躰根幹部を頭頂から右眼を通り躰中央に至る線で左右二材矧ぎとし、内刳<うちぐ>り、を施しているらしく、これにさらに像背に背板を矧いでいる。この像の場合、左手は肩から臂までが躰材と共木で、これに前膊を矧ぎ、右手は肩、手首矧ぎとするが、この右手の上膊をつかむ左手首より先は、右手材と共木から彫出している。木寄せとしては異例であるが、特異なポーズに合わせた合理的な矧ぎ方として注目してよい。現状の彩色は不動像と同様補彩である。なお三尊共、両足裏に躰材と共木の足柄<あしほぞ>(ただし不動像の左足柄は後補)を刻出して台座に立てている。
(西川 杏太郎)
戻る