大分の古代美術

多聞天



広目天







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木造四天王立像 四躯
豊後高田市大字真中 真木区
檜 寄木造 彩色
像高 持国天161cm 増長天158.4cm
   広目天166cm 多聞天161.5cm
平安時代後期(12世紀)
重要文化財
真木大堂の本尊阿弥陀如来<あみだにょらい>坐像の四方に安置される等身の四天王<してんのう>像である。四躯とも甲冑を著け、籠手<こて>、脛当て<すねあて>をつけ、沓<くつ>をはき邪鬼を踏まえ、武器を持つ姿にあらわすが、広目天<こうもくてん>だけは冑<かぶと>をかぶらず、髻を結い、髪際に炎髪<えんばつ>をつけている。左下を睨み、両手を胸前にかまえて持物(剣か)を握る持国天<じこくてん>、右下を睨んで口を開き、左手を振り上げて持物(三鈷杵<さんこしょ>か宝棒か)を執る増長天<ぞうちょうてん>、正面を向き、右手をあげて持物(戟か)を執る広目天、それに右手に持物(戟か)を執り、左掌に捧げる持物(宝塔か)を睨む多聞天<たもんてん>と、それぞれ、忿怒<ふんぬ>像ではあるが、おだやかに動きをひかえ、細身、腰高に造っている。細部をみると、その姿態に応じて、面貌から甲の細部の意匠や腰甲下縁の総<ふさ>飾りなどそれぞれ細かく造り分け、その彫技もかなり手慣れたものといえるが、本堂内の不動三尊像や大威徳明王像にみられるような洗練された統一感がやや不足で、彫り口にも概形にも、やや形式化し間伸びした所がある。製作は同じく十二世紀後半と思われるが、作行は不動三尊や大威徳明王像に一歩譲るものといえるであろう。
 各々檜<ひのき>材の寄木造<よせぎづく>りであり、木寄せに細部には不明な点もあるが、頭躰の根幹部は、いずれも躰部の中央で左右二材矧<は>ぎとしているらしく、内刳<うちぐ>りを施した上で、割首<わりくび>を行ったり、背板を当てたりしている。この他冑の錣<しころ>の縁、両腕(各肩、臂、手首、袖端などで矧ぐ)、厚みのある両腰脇や臀部など、根幹材からはみ出す部分に適宜肉付けのための矧木<はぎき>をしている。本躰および邪鬼(檜材)まで、かなり損傷が甚だしかったらしく、指先、足先その他各部分に後補の矧木が多くみられ、今残っている彩色もすべて補彩である。光背や方座も後補である。
 以上真木大堂の諸尊はそれぞれ作風が違うが、いずれも大ぶりの出来で、総じて大分県下の藤原彫刻としては注目すべきものといえる。宇佐大楽寺諸像の作風とは全く異なるもので、往時この辺りにも別の仏師の集団があったのではないかとも想像出来る。
(西川 杏太郎)
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